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一   島国の人々


 〈冬の地〉と呼ばれる土地がある。世界の多くの国々がそう呼び、地図では必ず、実際の位置がどうあれ端に追いやろうとする最果ての地だ。白い毒、〈雪〉に埋もれた、〈冬〉と呼ばれる災厄の根付く不毛の地だった。――千年前までは。
 冬の地に住む人々を憐れんだ慈悲と水の神――〈角の主〉が〈雪〉を浄化する〈雨〉という奇跡を齎したことで、冬の地は再生した。完全に冬が去ったわけではないものの、〈角の主〉が定期的に雨を降らせて清めることにより一つの安寧を得た。草木は育ち、花は咲き、水は渇きを癒し、人が笑えるようになった。
 慈悲深き雨が降り注いだ冬の地には三国が興った。
 その一つがパラファトイだった。三国の中でも西方に位置する島国で、温暖な気候の、人と巨人の国だ。南側はおおよそ人のもので、木と草の類で組んだ家が並んでいる。
 その中でも一際大きな建物は、港と果樹園の間にある。小高い丘の上にある集会所だ。平屋はすこぶる風通しがよく、一度に百人が入れる。
 角の主の住まい〈角の地〉を訪ねた礼拝船が戻って来たばかりで、報告を待つ集会所は慌ただしくあった。男たちは敷物と円座、酒や煙草に加え日が落ちた後のために灯りを準備し、女たちは煮炊きの支度に追われてあっちこっちと行ったり来たりしている。
 統領の娘エファヴィもまた、そんな女たちの中に居た。髪を結いあげ袖を後ろで纏めた彼女は重ねられた鍋の横に塩壷をどんと置いて、瓜を山と積んだ籠の数を数えた。五つ。予定通りに揃っている。
「姉さん! 姉さん、居るだろ! ちょっと来て!」
 さて次だ、と腰に手を当てた彼女は、炊事場に面した西側の畑から、そこに居るはずのない弟の声を聞いて肩を跳ね上げた。
 船に酒を置いてきたのなら、まっすぐに大部屋に入って座っているべきフージャ。角の地に行った船の長は彼なのだから、報告は彼の言葉から始まらねばならない。そうでなくとも統領の息子なのだ。集会の日に、油を売っている暇などあるわけがなかった。
 瓜の皮を剥こうと刃物を手にしていた若い娘たちは顔を見合わせて、同じ年頃のエファヴィを窺っている。エファヴィはごめんね、と告げた後、まったく落ち着きのないこと、とわざとらしく小言を言いながら外へと向かった。
「何事よ。そう大声を出すものではないわ。お前は次の統領なのだから、もっと落ち着いていなくては」
 戸から顔を出したエファヴィはすこぶる渋い顔をしていたが、フージャも大体、似たようなものだった。どこか不満そうにも、拗ねたようにも見える顔だ。大人になったと思っていたがこうしてみると随分子供らしいと、エファヴィは思う。
「迷子なんだ。多分」
「迷子? 多分?」
 フージャが促すので、エファヴィは仕方なく畑へと出た。歯切れの悪い口振りに首を捻ると、フージャも首を捻る。そうして見れば、よく似た姉弟だった。
 どう言ったもんかな、とフージャは頭を掻く。
「どこから来たのか分からないんだって」
「それなら迷子でしょう」
「そういうことじゃなくって、更に困った感じっていうか――」
「まあ、まあ。どこの子かしら」
 フージャがどうにか説明しようと言葉を続けた途中で、エファヴィは声をあげて目を丸くした。その迷子当人が、彼女の視界に入ったのだ。
 畑で待たされていた少女は大人しく、しかし好奇心に満ちた目で集会所の構造を検分していた。その色のとても白いことがエファヴィを驚嘆させた。彼女は統領の娘として他国からの客人の前に出されることも多かったが、そのような色を見たのは初めてだった。外の国に行くフージャでさえそうであったのだから、当然のことではあったが。
 声に居直った少女はエファヴィを見上げてにっこりとした。屈託も、気後れもない爛漫な笑みだった。
「どの国からかも分からないんだって。名前以外は、全然」
 フージャが二人の間に立つようにして言う。まあまあ、とエファヴィは意味のない言葉を繰り返した。
「名前は?」
「オルカ」
 彼女が訊ねると、当人とフージャが同時に答えた。それが面白くて、オルカはくすくすと笑いを零す。フージャとエファヴィは笑わなかった。フージャはエファヴィを窺って、エファヴィはやがて、首を振った。
「初めて聞く響きね」
「俺がそうなんだから、姉さんだってそうだろ」
 長い考察の末の言葉に、フージャはあからさまに溜息を吐く。ずっとパラファトイに居た姉ならば何か知っているのでは、と淡い期待を抱いていた彼だったが、結果はついてこなかった。
 港と島の東側を管理する統領家――フージャにとっては自分の家――の人間が知らないなら、他の者も、オルカと名乗ったこの少女について知らない可能性が高い。そうなるといよいよ、困った迷子だということになる。
 オルカはパラファトイが管理する居住者、訪問者の中に居なかった、ということだ。これだけ目立つ容貌ならば、単に覚えがないだけとは考えづらい。
「……俺は父さんに話してくるから、見ててよ。今連れてくわけにはいかないだろ?」
「分かったわ。仕方がないわね」
 頭を掻きながら、フージャは姉に小声で耳打ちした。集会を始める時間が迫っていて、彼にはまったく余裕がない。よろしく、と言ったが早いか、弾けるように駆けていく。
 弟を見送り、さて、とエファヴィはオルカへと眼を戻した。きらきらと光をまぶしているようにも見える丸い瞳が、彼女を見返す。
「フージャのおねえさん?」
 自分が迷子だと言うことも理解していないのではないかと思えるあどけない笑みで、オルカは訊ねた。ええそうよ、と応じたエファヴィは腰を折って、視線を合わせることにする。細い作りの顔を男衆から評判の高い柔和な笑みにして、今度は彼女が問う番だ。
「貴方、家族は? 誰かと一緒に来たのではないの?」
「んーん、一人! 船に乗ってきたの。とーっても大きな船」
「そう、一人……そうね、船しかないわねぇ」
 返事は元気がよかったが、まったく、喜べる内容でもなかった。このような子供が一人で船に乗せられるなどよくあることではない。まして少女。船乗りたちは女や子供を乗せるときは、一層に注意をするものなのだ。
 間違いなく、不測の事態というやつだ。
 エファヴィは『記憶は青魚と同じ』という諺を思い出していた。どちらも、腐って使えないものになってしまうのは早いのだ。記憶が新鮮なうちに少しでも多くのことを聞き出しておく必要があるわ、と断じた彼女は、暫くこの困った少女とお喋りをすることにした。
「どんな船だか、覚えているかしら? どんな人が乗っていたかは見ていない?」
 弟に呼ばれたきり戻ってこないエファヴィを見に来た世話好きな女たちがそのお喋りに加わって、竈仕切りの大婆に一喝されるのは、集会が始まってからのことだ。

 集会所の大部屋は既に人で満ちていた。
 パラファトイの人々は、何かあるたびに集会を開き、話し合いをして物事を決する。統領は居るが絶対的な主権を持たず、民の上に君臨するのではなく、民を束ねる為に存在している。現状、国を興したときに大きな働きをした二つの家――人間族のサガイ家と巨人族のスルン家がその役目を任されていた。民も民で自分たちのことは自分たちで決めるのだと言う意識が強く、集会所は無人の日のほうが少ない月もあるぐらいだ。
 銘々酒など手にした男衆は皆慣れた調子で並んだ円座の適当な場所へとどかどか腰を下ろしていく。一段高く設けられた上座には、現統領の一人であるジヒタム・サガイが。彼に面向かう最前列は彼の弟タナマンとフージャが並び、そのすぐ脇を船に乗り込んでいた者たちが固めた。ベサーブーキ――大きな丘号と呼ばれる、最も新しく、最も大きな船の船員たちだ。他も大体、乗る船や、仕事ごとに固まっている。
 集会所の中でも一際目を引くのは、部屋の隅、窓辺に陣取る四人だった。大男の枠には納まらないような巨大な男たちは、ウースラーと呼ばれる、島の北西の洞窟に住むパラファトイの巨人族。サガイ家と対なすもう一つの統領家スルンの者たちだ。現統領は大きな青頭巾を被っている、ベサテルズという男だった。
 人が大体揃ったと見れば、ジヒタムは数を数えることもなくドンと拳で床を叩いて会合の開始を告げた。世間話などに興じていた者たちが静まりかえれば、彼の皺に囲まれた目はすぐ近くに胡坐を掻いた息子へと向けられる。
「統領、ベサーブーキ、無事戻りました。何事も、恙なく」
 髪を結い直し襟を正して座っていたフージャも応じて父を見上げた。張りのある声は大部屋中によく聞こえた。
「皆よく帰った。角の地はどうであった」
「落ち着いているようでした。民の方々はこちらの捧げものも大変喜んでくださいましたが、これから暑くなって日持ちがしづらくなるので、次は荷を軽めにして、分けて持ってきてほしいと」
 〈角の地〉と称される冬の地の中枢には、角の主に仕える一族〈角の民〉が住んでいる。古に〈角の主〉の従者として選ばれ、その印に角を授かった神官の一族だった。三国の人々は年に何度も彼らに使者を送っては奇跡の礼の貢物を贈り、時に奇跡の〈雨〉を乞う。これを礼拝と呼んだ。
 フージャと彼の率いるベサーブーキの船員たちは、去年からパラファトイの代表としてその大役を担っている。未だ叔父タナマンの補佐はついているが、フージャは立派にその務めを果たし続けていた。今回も問題なく角の民の長と謁見し、多くの米や塩、干物などを祭壇に捧げて戻って来た。
 最初の頃はさすがに手間取ったものだったが、彼は元よりこうしたことが得意な性分だった。行き先が角の地という聖域で、格別身を引き締めなければいけないことを除けば――勿論それがとても大事なことなのだが――やることは他の二国に行ったときと大差ない。堂々として、相手の様子を窺い、上手く話をして来ればいい。神様に失礼の無いように。それを口に出して言ってしまえるだけの豪胆さも持ち合わせていた。
 今日もしゃんとして報告の言葉が迷いなくすらすらと出るので、集まった者たちは次の統領も出来がよくて安心だと、既に酒が一杯入ったように気軽に座っているのだった。
「まあ、仕方あるまいな。そのようにしよう」
 ジヒタムは彼らとは違い重く構えて、フージャの出来を確かめている。代えの利かない自分の跡継ぎに、彼は殊の外慎重だ。
「エルテノーデンからの使者も見ました。やはり〈雪〉の影響が深刻なようで、〈雨〉の力をより多く借りたいと嘆願に。我々もいくらか、言葉添えを」
 頷いたジヒタムに対し、フージャは一間だけ置いて次の話題を提供する。北の一国エルテノーデンの名に、いくらか、居住まいを正した者もいた。
 エルテノーデンは三国の中で最も古くからある国で、パラファトイとの交流も長い。現在彼の国を悩ませている〈雪〉害はパラファトイにとっても、まったくの他人事とは言いきれないところにあった。連なる峰は船造りに適したよい材木を生む。よい木が育たないのは後年に響く問題だ。
 とはいえ、角の主に願う他、離れた異国の事態に対する策はない。ジヒタムや多くの者が考えたのは、そのことではなかった。
「なら少し青物の値を上げるか。どう思う、タナマン」
 彼らは冬の地の大商人であった。頭を使うのは、その状況にある国への商いについてだ。慈悲深き角の主が嘆願を無碍にすることもなく、材木にはまだ余裕があるだろうと考えたジヒタムが弟に問うと、彼はんん、と少し唸った。
 角の地での滞在中、フージャの傍らでエルテノーデンの使者たちを見ていたタナマンは、その使者たちの切実な声音をよく覚えていた。彼は優しい男でもある。
「いっそ下げて多めに出してやって、恩を売っておく手もあると思うぞ。それで後々、木材を気分よく回してもらおうじゃないか。あっちの人間はなかなか話が分かる」
 フージャもそれに肯いたが、反論は他方から上がった。
「しかし、ジノブットで商いがしづれぇ今ぁ、エルテノーデンんほうで稼がにゃなんないのではないですかな。その、後のことを考えても?」
 島訛りの強い言葉は、外に出ない船大工の老爺のものだ。糸のように細くなった目は、南の一国、支配者を巡り争いが続くジノブットへの貿易を担当するティガブール――三羽の鳥号――の船員たちへと向けられる。
「でも、エルテノーデンは乳酪も欲しがっとりましたし……全部売れりゃ十分な儲けでないかな。俺はそう思いますが、統領」
「乳酪も作れんのか、奴ら」
「家畜に食わせる草も減ってきてるんだとよ。それでぇ、ほら、ジノブットから来ないから」
 そこに、数日前にエルテノーデンから戻って来たベルシナーギン――光る風号――の船長が言葉を挟む。隣に座っていた果樹園の一団が周りで小声であれこれと交わす。
 ティガブールの長は船員たちをぐるりと見渡して、商いに心配などないとジヒタムに目で訴えた。それでもいくらか稼ぎが減っているのは、これまでの話し合いで周知のことだった。
 ジヒタムはどれもに、鷹揚に頷いた。
「後で煮詰めよう。――ジノブットは? 来ていたか?」
「今回は見えませんでした」
「まだ小競り合いを続けておるらしいからな。代表も決まらんのだろう。先んじて出るほどの余裕のある勢力もないか」
 角の地に行けば、二国のことも知れる。そうでなくとも三国貿易の大半を取り成しているパラファトイである。ジヒタムは他の二国よりも広い目を持っているという自負があった。そして、今最も豊かなのは自国だという自信も。
「とりあえずはエルテノーデンだな」
「ジノブットから出たい奴は皆、船を使う。そちらで稼げばよいさ」
 ぼやきにはタナマンが小声で応じた。
 エルテノーデンもジノブットも船を持っていないわけではないが、海に関してはあらゆる面でパラファトイに任せるのが一番早くて、安全とされているのだった。二国間の人の移動――たとえばジノブット沿岸部からエルテノーデン西部へ――さえ、陸路よりもパラファトイが間に挟まる形のほうが多く利用される。それも無論、慈善行為などではない。多額の利益を齎すものだ。
 パラファトイは今まさしく、順風満帆なのだ。
 他にも二、三、フージャは角の地の様子や言伝染みたものを、統領だけでなく皆に聞こえるように声を大きくして伝えた。
 角の主の〈雨〉についての話のときは、さすがに誰もが神妙な面持ちとなった。角の民の話によれば、そしてフージャたちがその目で見たところによれば、〈雨〉を齎す純白の輝く雲――光雲はジノブットから徐々に北上し、エルテノーデンへと向かっている、とのことだった。皆が知る〈雨季〉の移り変わりよりは些か早い。エルテノーデンの民があまりに嘆いているので主は急いでらっしゃるようだ、との角の民の言葉も、フージャは口にした。
「統領、もう一つ知らせたいことが」
 畏まった話が一段落し、皆がそれまでの話を自分たちの手元に寄せて酒瓶の栓に手をかけ始めた頃、フージャは膝を詰めてジヒタムに寄った。それまでとは違う小声で、フージャは先程見つけた迷子のことを父に伝える。
 ふむ、とジヒタムの眉が寄った。
「――皆の衆。身元の知れぬ迷い子がいるようだが、何か知る者はおらんか」
 一声上げると、ざわついていた部屋が静まりかえる。部屋を見渡したフージャは、巨人たちが顔を見合わせているのも見た。
「エファヴィ、居るだろう。連れてこい」
 奥、食事の支度をしている女たちの部屋にジヒタムが呼びかけると、はぁいと高い応えが返る。幾人かの男が、襟や裾、結い髪を弄るうちに、彼女は現れた。白い、少女の手をとって。
 ほお、おお、と声が漏れる。こればかりは落ち着いていたジヒタムもタナマンも、巨人のそれぞれも驚いて目を丸くしていた。
 次には、ざあと声が溢れる。
「こりぁたまげたな。真っ(ちろ)い娘っ子じゃ」
「どこかのお客の連れ子じゃないんかね」
「どこの客だ。今はジノブットのが一握り居るだけだぞ」
「そもがよ、女で、子っこてのは、なあ。あんまし乗せんが」
「まだ小さいし、――いい身形だしな、探されてるに違いないぞ」
 皆が好き好きに話し始めた中、オルカは縮こまってエファヴィの手を握りしめた。強面とも言えるジヒタムを見て慌てて目を逸らし、フージャを見つけて、あっ、と言う顔をして小さく手を振る。
 このような場で子供のように手を振り返すことはできないフージャは、曖昧に笑っておいた。
「名はオルカ、年は十一。……一人で来た、と申しました。見知らぬ者たちが居るので気になって追いかけ、船に忍び込んで隠れていたら寝てしまって、目が覚めて外に出たら此処だったと。乗っていた船は、よくわかりませんわ。それで自分の居た国や町の名もわからないと」
「それはとんだ忍びだな。誰も気づかんとは」
 エファヴィの言葉は、フージャが告げたことをなぞり、いくらか補足することになった。ジヒタムは苦い声を吐いて、ドンと床を鳴らした。オルカはびくりと肩を縮めたが、ジヒタムは怒ったのでも苛立ったのでもなかった。部屋中の人々が注目し、静かになる。
「船に乗ってきて港に居たそうだが、誰か見覚えのある者は居らんのか? ベルシナーギン、ティガブール、」
 ジヒタムにフージャ――それが船の名であることも、船員たちが何処に座っているかも知らないオルカ以外の人々は、皆名を出された船の一団を見遣った。
 昨日港に戻って来た二隻。どちらの船も十人近くがこの集会に顔を出していたが、その中にオルカを知っている者は一人も居なかった。皆が顔を見合わせて、オルカを見ては首を振る。
「この中には居りません、統領」
 誰かが言うとジヒタムの眉間にはっきりと皺が刻まれた。フージャとエファヴィの顔も曇る。
「ならなお大事だな。二国に使者を送らねばならん」
「船を出すのは、次はいつになる?」
「四日後だな」
「ジノブットへは七日後だ。それまでにそこの子だって分かりゃ、まあ、乗せてくんだが」
 ジヒタムの言葉を受け立ち上がったフージャの問いかけに、二つの船の船長がそれぞれ答えた。そうして、今度はその二人が顔を見合わせ、肌の白さからすればエルテノーデンの者だろうが、などと言う。
「それにしたって、それまではどうしましょう。誰が、その子を?」
 埒の開かない話を聞き流して口を開いたのは、陶工の青年だった。仕事をしてから出てきたようで、肘は土の色で汚れていた。
「うちで面倒を見る」
 フージャがうちで、と言ったところで、もっと低く大きな声が重なった。フージャはまるで自分の喉から出たように感じたが、間違えようのない、彼の父、統領ジヒタムの声だった。
 てっきり話し合いになるだろうと思っていたフージャは、父のはっきりとした言葉に面食らってしまった。
「父……統領」
「誰の客でもないが、うちの倅が見つけたんだ、それが筋だろう。フージャ」
 フージャが父を見ると、ちろりと視線が返る。彼は背筋を伸ばして応じた。
「――はい。俺が責任持ちます」
「スルンの、聞いていたな。一先ずはこれでよいか」
「問題などない」
 ジヒタムが声を投げると、それまで黙していた巨人の長ベサテルズが口を開く。そちらに顔を向けたオルカは、ぽかんと、目も口も丸くしていた。おっきい、と言った声が聞こえたのは、まだ手を握ったままで、事の成り行きを見ていたエファヴィだけだった。
「我らは外のことは口出ししない。角の地について以外は。さて、酒でも飲もうではないか、諸君」
 ベサテルズは体の前で手を動かしながら言って、言いきってしまうと横に置いていた酒瓶を手に取った。そうしてゆっくりと立ち上がり、ジヒタムが座る上座を目指す。
 いくらか人を避けさせながら、しかし器用に間を縫って上座へと至ると、どっかと腰を下ろした。所作は大きくあったが、実の所は建物に気遣った優しい動きだった。差し出された盃をジヒタムが受け取ると、ベサテルズは空かさず、酒瓶を傾ける。
 酒を注ぎ合うその様は、急を要する事柄が議題として持ちだされなければ集会でよく見られる光景だ。
「サガイとスルン、そして諸君、我らが国と――〈角〉の御方に」
 告げ、二人の統領は一息に盃を乾す。
 代表者の乾杯、それが合図だった。皆が前向く話は終わったと見て、人々皆酒の栓を抜いた。そうしていくつかの塊ごとに輪になって、酒を酌み交わしながら色々と話す――他国から言えばふざけた宴会染みた――集会に移行していく。
 フージャは叔父のタナマンと酌を交わした。軽く一杯喉に流し込めば、立ったままでいるオルカとエファヴィを示して外で話をして来いと手を動かされる。フージャは頷いて二人を外へと促したが、エファヴィは食事の支度がまだあると言って炊事場へ引っ込んでしまった。オルカが居た為に今日の支度は全体的に遅れが出ていたのだ。
「……そちら、〈雪〉はどうだ」
「まだまだ着かぬ。案ずるな」
 仕方なくオルカの手をとって庭へと向かう息子を見送りながら、ジヒタムの小さな声で問う。気の早い言葉にベサテルズはほっと笑って応じて酒を啜った。


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