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二   宴夕餉


「おおーっきーい! なんの動物っ?」
 集会所の外、大部屋に面した庭に出たオルカが歓声を上げたのは、出て行った先で巨人の一人が待ち構えていたからだった。スルンの長の子ベサルバト――フージャと同じく次期の統領である男は、近くに来たオルカを見下ろして微笑んだ。巨人の体躯に見合う大きな手が白い頭を柔く撫でる。
「やはり陸から来たようだな。私たちは貴き獣ではない。巨人(ウースラー)。大きい人だ。――君は何だ?」
 巨人を大陸の二国に住む獣人の類だと勘違いしているオルカに答え、逆に問い返す。巨人にとっても見慣れぬ白い姿は人か、エルフか。オルカの耳は尖ってはいないが、獣の混じっていない様子を見ると、冬の地ではそのどちらかとしか思えなかった。
 まさか角の民ではあるまいと、ベサルバトは思う。彼らは角の主に選ばれた印として額に角を持っているが、オルカを撫でる手は何も固いものには触れなかった。
「オルカは、オルカだよ」
 撫でられ乱れた髪をそのままに、オルカは笑顔で答える。何の役にも立たない返答だった。巨人のことも分かっているのか疑わしい。
「面白いものを見つけてきたものだな、サガイの若」
「よーせよ」
 隣で肩を竦めたフージャに、ベサルバトはからかいの言葉を投げる。同じ立場にある二人は、幼い頃からの――と言ってもベサルバトの実年齢はとうに四十を超えているので、フージャの幼い頃からということになるのだが――友人だった。共に学び、遊び回って過ごした、一番仲の良い親友だ。
「しっかし、猫ぐらいなら前にもあったけど、子供一人連れてきて気づかないなんて……」
 とんだ確認不足だと、フージャは溜息混じりに、どの船の者かも分からない無精者を詰る。今頃、彼の父も調子をずらして船主たちを叱っているところかも知れなかった。自分の船も出港してから荷が足りないことなどないように一層注意してかからねば……と考えながらオルカを見ると、オルカはにっと口角を上げる。つくづく、不安や気後れとは無縁の笑顔だった。
「オルカ、かくれんぼ得意なんだよー」
「あのなぁ」
「船、乗っちゃダメだった?」
 問う少女に、いいわけないだろ、と思うのは内心。責めて気を落とさせても仕方がないと、フージャは言葉を飲んで眉を下げ、小さな肩に手を置く。彼の横で、ベサルバトは面白い物を見る目つきだった。
「親御さん、きっと心配してるぞ」
「オヤゴサン? オルカ知らないよ、誰?」
 はあ、とまた溜息が出る。役目を終わらせていくらか気が抜けているのもあり、フージャは実の所大分疲れていた。あまり面倒な話はしたくない、というのが心情だ。それでも、オルカに今後のことを説明しないわけにはいかない。
「いいか、明日から皆で、君が何処から来たのか調べる。すぐに帰してやるつもりだけど――それまではうちで暮らすんだ」
 集会、父親の取り決めたことを噛み砕いて口にする。オルカはフージャを見つめて、賑やかな建物のほうを見遣った。
「フージャのおうちって、ここ?」
「俺の家だけど、此処じゃない。あっちにある。後で連れてくよ」
 あっち、とフージャが指差した方向は、木の陰になっていてオルカには見えなかった。
 それでも納得はしたようで、ふぅん、と大事でもなさそうな顔をした彼女だったが、少し考えたところではっとして顔を輝かせた。
「さっきの、お姉さんと一緒? お父さんとか、お母さんとか居るっ? フージャもおうちに居るんだよねっ?」
「……居るよ?」
「すごーい、皆居るんだ! 楽しそう!」
 その勢いと来れば、フージャも、ベサルバトも面食らうほどだった。うきうきと、今にも跳ねて回りそうな気配さえあった。
 どうも、この少女は皆が居ないところで暮らしていたらしい。
 フージャはそう思い至ったが、それが何になるだろうか。むしろ、そんな境遇にある子供がこんな見知らぬ地に――言うなれば流れ着いてしまったという、状況がよくないことの認識を深めるだけだった。
「まあ、泣かれるよりいい……のか? なんか調子狂うんだけど」
「フージャ。この子は強い子のようだから、何を言ってもこんなところだと思うぞ。――まあ暫くはお前の妹のようなものだ。慣れるしかあるまいな」
 呟きに応じたベサルバトは、言うなりひょいと軽くオルカを抱え上げた。ついでにフージャも。
 きゃあっ、と高い声が上がって、皆が揃ってそちらを見た。庭に面した戸は開け放たれていて、声は中に筒抜けだった。
 巨人は丸太のような腕に少年とを乗せ、庭木の槿へと近づいた。しがみついた少女がはしゃいで笑っているところを見れば、聞こえたのは悲鳴ではなく歓声であったと、誰もが理解したが。
 高い、すごい、とはしゃぐ幼い娘を見て、フージャの頬もいくらか緩んだ。彼も別に、子供が嫌いであるとか、そういうことではないのだ。素性の知れぬ女の子の扱いというのがよく分からないだけで。
「ルバト! どこの子かも分からぬのだ、危ない真似をするでない」
 奥の上座から一喝したのはベサテルズだった。ジヒタムもまた、その横でやれやれと呆れた顔をしている。数杯酒を味わった統領二人だったが、息子たちのほうをしっかりと監視していたのだった。
 フージャもベサルバトも、少しは次期統領らしくなったと思えば、やはりまだ若く落ち着きがない時がある。悩みの種、というには易しい、いつの世にもある親の欲目が二人の眼差しには見え隠れしている。
「話ばかりではつまらぬだろうと思いまして」
「札遊びにでもしておけ」
 ベサルバトの軽い言い訳に、ベサテルズが空かさず言い返す。統領家族を見る男衆たちの眼は、いつもに増して温かいというか、生温い。皆がへらへらと軽く笑って、和やかだった。
 タナマンと目が合って、フージャは父親にばれないように軽く手を振って微笑んで見せた。オルカにとっては初めての肩車も、フージャにとっては慣れた位置だ。
「簡単なのは何がいいかな?」
 札遊び、と言いながら、彼は澄ました顔で足をぶらつかせ、ふと、手近なところにあった桃色の花を摘んだ。指先でくるりと回し、下を向く。落ちれば怪我をしかねない高さがあったが、この程度で怯えていては船員としてもやっていけない。
「その前に飯だろう。いつから食べていない?」
「さっきアメもらったよー。……でもすーっごく、お腹減っちゃった」
 ベサルバトは腹を擦ると、首を巡らせるようにして、フージャからオルカへと視線を移した。オルカはフージャの真似をして足をぱたぱたと動かしていたが、言われると空腹に気づいて、少し元気がなくなった。
 初めて見た、どこかしょんぼりしたオルカの様子にフージャは今度こそはっきり笑った。
「すぐに来るよ。姉さんたちが頑張ってる」
 言葉通り、遅れた食事はすぐ後に供された。
 炊事場から出てきた女たちは既に出来上がっている男たちを叱責しながら、焼き飯の入った大きな鉄鍋をそれぞれの集団の傍へと運び、円座にも似たこれまた大きな鍋敷きの上に置いて、ほらほら受け取った、と皿と散蓮華を胡坐の上に載せていく。
 ほらいらっしゃい! と庭の三人に声をかけたのはエファヴィで、既にいくらか取られた焼き飯の鍋を手に庭に近い場所を陣取っていた。鍋は人の肩から床に座りなおしたフージャに寄せられ、彼が手際よく皿に盛りつけいるうちに、彼女は大鍋からスープをとって戻ってくる。海老と瓜の、彩りのある椀だった。
「触っちゃ駄目だよ、熱いから」
 鍋ごと出される料理も、不思議なかたちをした匙も、オルカは初めて見たらしい。好奇心に満ちた目にフージャは釘を刺して、オルカの前に皿と椀を置いてやる。彼女は床に座って物を食べるのも初めてのようで困った顔をしていたが、フージャが食べ始めたのを見て、見よう見まねで椀を手にして、散蓮華を掴んだ。
 じ、っと椀の中を見つめて、不慣れに握った匙で、塩味の汁に沈んだ、赤と白の丸い塊をつつく。
「……これなあに?」
「海老は食べたことがないの? 美味しいわよ。食べてごらんなさい」
 えび。とエファヴィの言葉を繰り返して、オルカは初めての食べ物を掬い取って、口に運んだ。小振りの海老だったが、匙の一口が大きくて少女の小さな口は苦労した。
 三人が食べながら見守る中もごもごと噛んで、ぱっと顔を輝かせる。
「なにこれー!」
 甘みのある海老の肉はお気に召したらしい。オルカが喜んだのに、エファヴィもほっとして相好を崩した。
 それから皆よく食べた。オルカはスープをもう一杯おかわりして、フージャは酒の代わりに茶を貰ってきて、オルカにも渡してやった。
 日が暮れて少し涼しくなり辺りが暗くなり始めると、空いた鍋と皿が片付けられ、代わりに干物や漬物の小皿が酒の肴にと出された。女たちは皆奥に引っ込んで、そちらはそちらで世間話に花を咲かせていたが、エファヴィはオルカを気遣ってずっと横にいた。
「フージャ、お前は一旦エファヴィと戻れ。その子を連れて、寝かしてやれ」
 ジヒタムが声をかけたのは、満腹になった迷子がうとうととし始めた頃だった。



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