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四   〈冬〉の跫音


 涼しい風が吹くようになった夜、集会所の大部屋の横にあるやや奥まった部屋で、統領二人は向き合っていた。
 虫の声は絶え間なく聞こえ、それが静寂であるように耳を錯覚させるほど。今は、音はそれだけだった。人の声は隣からも一切聞こえない。集会所を訪れたのはジヒタムとベサテルズ、彼ら二人だけだった。
 大きな茶碗を傾け、濃い茶を四口飲んでベサテルズは息を吐いた。よくフージャを訪いに来るベサルバトや船の修繕をしに出てくる船大工の一派とは違い、久方ぶりに住処の洞窟を出てきた巨人族の長は、茶の味を差し引いても随分と渋い顔をしていた。髭の先を撫で、黙したまま待つジヒタムを見、ふうっとまた息を吐く。二人の間に置かれた心許ない灯りが揺らいだ。
「〈雪〉が着きはじめた。去年より早く。日毎の増え方も随分と急だ」
 告げる言葉は忌々しげだった。ジヒタムの眉間にも空かさず深い皺が生まれた。
 巨人たちが住む島の西側で植物が枯れ始めたのは、一昨日のことだった。季節の変化のせいにしてはあまりに急な萎れ方であった為に、もしやと根を掻き分けてみたところ、それは見つかった。
 土が斑に、白く濁り始めていたのだ。三国、冬の地と呼ばれるこの地の人々が古くから忌み憎んできた〈冬〉の証、大地を不毛のものにし人々を死に至らしめる、不浄の毒、〈雪〉に違いなかった。
 そして言葉通り、その出現は例年よりかなり早く、増加も急なものだった。既に大半の収穫を終えた後だったとはいえ、畑の一つが一日で〈雪〉に覆われるというのは、恐るべきことだった。
「エルテノーデンが困っているように、雪も酷いものになってきておるのかも知れぬ」
「田畑に影響が出始めるのはいつだ?」
 呟くベサテルズに、食うようにジヒタムが言う。膝に握り拳を押しつける腕には、筋が浮かぶほど力が込められている。
 ベサテルズは緩く頭振った。
「もう出始めておる。取れるものはもう取ってしまったわ」
 その声には多分な諦めが含まれていた。彼らはこの地で生まれ、この地で死ぬ一族だ。〈冬〉との付き合いは一族の系譜とも言える。人々は〈冬〉に抗う術を持たず、その中でどう生きるかを決めるしかない。そこに、かの神、角の主は慈悲を垂れるのだ。
「……エルテノーデンに早く回ったにしても、〈雨〉まであと二月もある。……畑がすべて駄目になると困ったことになるぞ」
 〈雨〉。冬の地の人々を救い、繋ぎとめた奇跡の雫。冬の地の三国すべてを救う雨垂れは、すべてを救う故に限られた間しか一所を洗わない。パラファトイがその一所となるには、後二月、ゆうにあった。それでは遅すぎる。
「物を、外に多く回し過ぎたな」
 呻いたジヒタムに対し、ベサテルズの声は淡々としていた。余裕があると見て、エルテノーデンやジノブットへの商いをしすぎた為に、パラファトイの蓄えは十分ではあるが、十二分ではない。予想より早い〈冬〉には対処しきれるかどうか……
 巨人の冷静に過ぎる分析――指摘に、その決定をした人の長はぐっと歯を食いしばった。また、巨人の長は首を振る。
「何も責めているわけではない。我らとしても、こんなに早く雪が現れるとは思わなかったのだ。我らの見立ても甘かったのだ」
 ジヒタムは答えない。なんと答えたところで状況が改善することなどない。彼が考えるのは過去ではなく、先のことばかりだった。
「責めては居ないが、どうにかせねば」
 独り言に似た言葉が床に落ち、二人の視線は茶碗や、灯に落ちた。長い沈黙が騒々しい虫の声に呑まれていた。
「いつ他の者に公表するか」
「すぐにだ。隠してはならん」
 それでも、ジヒタムの小さな声をベサテルズが聞き零すことはなかった。間髪入れずに応え、睨むように見つめ合う。
「しかし不安を煽るのはよくないだろう」
「隠し事をすれば雪が不安でなくなるか? それは違う。この事を隠していいことなどない。民は子供ではないぞ、サガイの」
 ジヒタムの意見に返す巨人の声は、老爺が、成長を見つめてきた若人に向けるものと酷似していた。それも、窘めるのではなく温かな響きを帯びている。
「君はいつものように落ち着き払い、堂々と振る舞えばよいのだ。そうすれば民は安堵するだろう」
 言葉を続け、言い切るとベサテルズは茶を啜る。ジヒタムは長く黙り込み、眉を寄せ、口を歪めて俯いていた。俯きはやがて、頷きへと変わる。
 雨はもうすぐ、エルテノーデンに降るだろう。パラファトイはその後まで耐えるのだ。



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