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一  新緑の国の騎士


 パラファトイからオルカを手に入れて月日は一つほど過ぎた。
 最初は抗議の声を上げていたパラファトイも、「オルカの意思自らでエルテノーデンに来た」と告げて、海上戦で船を沈めた魔石の存在を仄めかすとすぐに鳴りを潜めるしかなかった。
「奴ら、魔石をちらつかせたらすぐに引っ込んでいきましたよ。しばらくは手も足も出してこないかと」
 エルテノーデンの首都モンレカプートにある王城の一室で獅子の王――レオハルト・ヴォルトは部下が読み上げる報告を静かに聞いていた。
 そうか、と一つ頷いてパラファトイはしばらく大人しくしてくれるだろうと静かに笑った。
 それからパラファトイの件に一区切り付いて安堵する暇もなく、次に大幅に遅れた〈雨〉によって齎された〈雪〉害の被害報告を読み上げる部下の声に、レオハルトは頭が痛くなる思いだった。
 例年より長く厳しい〈冬〉となったおかげで国内の被害は甚大なものとなった。小さな村や町では作物が十分に取れず、畑は枯れ家畜は死に絶え、国庫に蓄えていた食物も底を尽きようとしていた。食物はもはや他国からの輸入を頼る他ないだろう。
 それほどに〈雪〉は草木や大地を穢し、死を呼んだ。おまけに〈雪〉による病が伝染し、いくつかの集落が消えたという声も聞こえていた。〈雨〉が降り〈雪〉を少しずつ溶かしてはいるものの、民も大地もすでに十分に疲弊してしまった。
 レオハルトは部下が〈雪〉害の報告を読み上げるごとに、胸が裂けるような辛い気持ちになった。そんな胸の痛みを和らげようと眉間の凝りを解しながら、長かった報告も次で最後だという民からの訴状内容に耳を傾ける。
「どうやら落ち延びた民が盗賊となって、商人や貴族の荷を狙う被害が数件出ております。山奥の洞窟に根城を構えているそうで、近くの村の住人からは被害が及ぶ前にどうにかしてほしいと陳情が……」
「そうか。致し方あるまい。アルフレートはいるか」
 はっ、と声はすぐ横から聞こえてきた。壁際に控えていた、少し神経質そうな顔つきをした中年の男が王の前に跪き首を垂れる。緑の軍服をきっちりと着こなした赤毛の彼は、騎士――兵士の中でも王の手で自ら選ばれた、優秀な兵に与えられる称号を持った者――たちで構成された隊を率いる隊長であり、王の右腕とも呼ばれる男である。
 レオハルトはアルフレートと呼んだ男に頭を上げるよう言ってから命じた。
「腕の立つ騎士を選んで、今すぐに討伐隊を組んでくれ。これ以上民に不安を与えたくはない」
「かしこまりました。では、クランフェールとルールーを出しましょう」
 アルフレートは二人の部下の顔を思い出しながら、そう提案するとレオハルトもその二人ならば安心だと言わんばかりに頷いた。
 では、と指示を出すためにその場を辞した騎士隊長はつかつかと静まり返った廊下を歩きながら、近くに居た兵士を呼び止める。兵士に先程名を挙げた男たちを執務室に呼び出すように言付ける。
「あぁそれから石の賢者に言って、魔石を騎士に――いや、同行させる兵士に数個渡しておけ。機会があれば使うように言っておいてくれ」
 しばらく右手を顎に当てながら何事か思案していた男は、そう告げて兵士に伝令を頼む。
「さて、どうなることか……」
 去りゆく兵士の背中を見送りながら、あまり良い予感はしないが、と呟きを漏らすがその呟きを聞き取るものは誰もいなかった。


 クランフェール・ランドという名の男は、赤銅の髪を靡かせ、また彼と同じ毛並みの愛馬の手綱を握り、十数名の小隊を率いて王都から離れた山の中を駆けていた。目的地は山賊が根城にしているという洞窟である。馬の蹄を高らかに鳴らし、山を登り森の奥へ奥へと突き進む。
「おい、あまり近づくと気づかれるぞ」
 クランフェールの馬の横に並び、低く声をかけたのは彼と同じく騎士である黒い犬の獣人である。そんな獣人の警告に対してクランフェールは、にやりと不敵に笑いながら答える。
「だーれに言ってんだよ。それに気づかれたら気づかれたで面白いだろ?」
「これはお前の好きな狩りとは違うんだぞ。我々には賊を捕まえるという、立派な任を与えられていることを忘れるな」
 その答えに黒い獣人――ルールー・ルーは呆れたようにため息を吐き、苦々しい表情を浮かべ説教をしようとするが、あーあーと聞きたくないというポーズをとってクランフェールは長くなりそうな男の言葉を遮った。
「うるせぇ、アルフレートみたいなこと言いやがって。そのまま馬上で舌噛みやがれ」
 相変わらず口が悪い、と肩を竦めるルールーに対しクランフェールは鼻を鳴らし、気を取り直すように前を見据えた。
「ふん。さーてそろそろだな」
 前もって頭に入れておいた地図によると、真っ直ぐにもう数百メートル突き進めば目的地へと辿り着くはずだ。
 自然と口角が上がるのを自覚しながら、左手に握っていた槍を空高く掲げて、馬の横腹を蹴り速度を上げた。木々を避けながら狭い獣道を、風を切って駆け上がる。下手をすれば落馬して命を落とす可能性もあるが、そのような間抜けは彼の隊の中にはいない。増して騎士の称号を王より授かった赤銅髪の男は危うげな様を見せるはずもなく、一人だけ頭を飛出し先へ先へと突っ走っていく。
「一番槍は頂くぜ!」
 長い付き合いになるルールーは男が何を考えているのか容易に想像がつき、案の定予想していた言葉が風に乗って聞こえてくると、今日何度目になるかわからないため息を吐いた。
「あの馬鹿がっ。おい、入り口を囲め! 一人も逃がすなよ。できるだけ殺さずに捕獲しろ」
 遠くなる背中を見つめながら残されたルールーは部下に指示をだし、男の後に続くしかなかった。

 一方誰よりも先に辿り着いたクランフェールは洞窟の前にいた見張りをなぎ倒し、愛馬を乗り捨てて我先へと中に突っ走っていた。
 洞窟は元々採掘場だったのか人工的な広い作りになっていて、小さなランプが道々に灯っている。そこら辺には盗んできた荷なのかいくつもの木箱が積み上げられていた。それを一瞥しながら、侵入者に気が付いて慌ただしく飛び出してくる賊を次々と薙ぎ倒していく。所詮何の鍛錬も積んでいない農民が落ちた賊ごときが騎士に適うはずもなく、その力の差は歴然であった。呆気にとられて動かないものや、逃げ出すものには目もくれず刃向ってくるものだけを力で捩じ伏せていく。どうせ逃げ出しても入り口には他の兵士が取り囲んでいることだろう。彼らに逃げ場はないことをクランフェールは知っていたので、好き勝手に行動することが出来た。
 持つべきものは理解力のある友人と優秀な部下だな、などと鼻歌交じりに呟きながら、予想通り 洞窟の入り口が騒がしくなってきたのを背で聞く。そんなことをしているうちにクランフェールが行き止まりとなっている奥まで辿り着くと、そこには逃げ出すこともなく、かといって武器を構えるでもなくただ亡霊のように深く椅子に座る髭の生えた男がいた。
「よぅ、あんたがここの頭か?」
 窪んだ瞳には光がなく、痩せこけた顔には生気が宿っていなかった。本来なら黒かったのであろう髪も斑に白く染まり、その様は男の苦悩を物語っているかのようであった。
「なんだお前は」
 獣よりも低く唸る声は目の前の男から発せられたものなのだろう。クランフェールはそんな男を憐れに思うでも、嫌悪するでもなく笑って答えみせた。
「まー、見ての通りお前たちを捕えに来た者だな」
 そうか、と諦めでも怒りでもなく男はただ淡々と呟き、そばに立て掛けていた剣を抜く。
「悪いが諦めるわけにはいかない。死んで行った者たちのためにも、俺たちは生きなければならないのだ。ここで捕まり殺されるわけにはいかない」
 その声に応えるように隠れていた男の仲間が数人、クランフェールを取り囲むように現れた。それを横目で確認しながら笑って見せる。
「そーかい。あんた腕に見込みありそうだなぁ。俺は騎士隊のクランフェール・ランド。王の命によりお前たちを処分しに来た」
 騎士の名乗る名に覚えがあったのか、男は髭を撫で思い出すようにクランフェールの名を呟く。
「ランド……あぁ、あの代々騎士の家系で有名な侯爵位の貴族様か。名を聞いたことがあるぞ、確かランド家の三男、現騎士隊長の弟が若くして騎士に選ばれたとな。はは、私たちのような落ちぶれた者どもに高貴な騎士様が出向くとは光栄なものだな」
 そりゃどーも、と答えながらクランファールが空いた手で、来いよと徴発する。
 頭と呼んだ髭の男はその安い挑発に乗ることなく、冷静に仲間に目配せをしてクランフェールを取り囲んだ。クランフェールの武器は槍である。懐に入ってしまえば攻撃できなくなるので、囲んで取り押さえてしまおうと考えているのだろう。けれどもクランフェールは顔色一つ変えることなく、相変わらず口元を楽しそうに歪ませていた。その様子に何人かの盗賊は怯むが、すぐに叱責が飛ぶ。
「怯むな、相手は一人だ。囲んで動きを封じれば、例え騎士といえど倒せよう」
 男たちは頭の命の通り、じりじりと囲み一人ひとり飛び掛かって行く。けれどクランフェールは何事もなく一人目の攻撃をひょいと躱し、二人目は刃で塞ぎ三人目は穂で足を引っ掛け四人目の男と一緒に薙ぎ払った。
「っぐ、なんてやつだ」
 もう一度とそれぞれの武器を手に切りかかる。が、男たちの刃がクランフェールに届くことはなかった。〈雪〉で脆くなっていたのか彼らの武器は、槍を刃に振り落すだけで簡単に叩き折れた。〈雪〉は鉄であろうと脆い物質に変えてしまう。手入れのなっていなかった武器は、あっという間に文字通り粉々になって壊れる。
 クランフェールは完全に怯んだ瞬間を見逃すことなく、男たちを穂先で殴り飛ばして地面に転がした。すかさず頭が割って入り、クランフェールの頭上に剣を一撃振り下ろした。ガキィンと乾いた金属音が響き、火花が散る。剣を押し返し、間合いから逃れるよう後退するが追撃がかかる。上下、左右、と剣が振るい続けられるがすべて受け流し、クランフェールは口笛を吹いて男を讃える。
「あんたやるな! けど体が鈍ってきてるみたいだぜ、っと」
 迫りくる剣先を弾き飛ばし、大きく後退して槍を下段から上段へと振るった。男は低い唸り声を上げながらもその一撃を受け止め防ぐが、反撃とばかりに刺突が連続で繰り出した。頭は何とかクランフェールの猛攻に耐えるものの、次第に捌ききれずにかすり傷を負っていく。
 まるで獲物を追い詰める肉食獣のような鈍い光を相対する騎士の瞳に感じられ、男は知らず身震いをした。飛んできた槍を剣の側面で受け流しながら、嫌な汗が男の額を流れる。
「もっとだ、こんなもんじゃないんだろ!」
 実に愉快と言った態度で叫ぶ騎士に男は激怒した。
「ふざけるな、騎士風情がぁ! お前たちに私たちの何がわかるっ」
 目の前の騎士は貧しい村の生活も〈雪〉によって村人が死んで行く光景さえも経験したことがないだろう。なにせ貴族出身のご身分なのだから、灰をかぶるような生活とは無縁なはずだ。そう思うと男の中に憎しみの心が沸き立ち、怒りにまかせて力任せに槍先を弾き飛ばした。
 その隙に間合いを詰めて懐に潜り込み剣を振り下ろすが、素早く手繰り寄せた柄で受け止められる。互いの力が拮抗し、どちらも引かずに金属がガチガチと悲鳴を上げる音が響く、
 目の前に迫った男の顔を見下ろしながら、騎士はそれがどうしたと言わんばかりに、焦りの色もなく平然と他人事のように呟く。
「あぁ? 知るかよ。そんなこと関係ないな」
 その言葉に男の顔はみるみる内に赤く染まり、血管が今にもきれそうなほど浮かび上がっていた。怒りに血走った瞳でクランフェールを睨みつけ、唾を飛ばして激昂した。
「関係ないだと? よくもそんな口が利けたものだ!! 村が死んだんだ! あの忌々しいもののせいで。お前たちに分かるか、何もできずに村が滅んでいく様を見続けなければいけない者の気持ちが。〈雨〉さえ降れば。〈雨〉さえ……」
 男の前には滅んで行った村の様子が見えているのか、虚ろに〈雨〉、〈雨〉と呟いていた。そんな男の様を見つめながら、クランフェールは淡々と事実を告げる。
「〈雨〉は降る。〈雨〉の御子が坐せられているのだ。彼女は我が国に〈雨〉を運んでくれている」
「あぁ知っているさ。けどな今更〈雨御子〉様だと? 遅いんだよ! 今〈雨〉が降ろうと、もう娘は、妻は戻ってこないのだからな!」
 目の前で泣き叫ぶ男たちはこうするしか生きる方法がないのだと罪を正当化する。
 家族を失い、友人を失い、住む所すらも失って、賊に落ちた男たちの心境を考えようとして打ち消した。どんなに考えたところでクランフェールの中の答えは一つだ。
 隙をついて剣を押し返して、男と間合いを取ってから、槍を相手に向けて突出しながら言った。
「あんたの言うとおり、あんたの気持ちなんて俺にはわかんねぇし、知りたくもないな。俺はただ王の命に従い、あんた達を罰するだけだ」
 ま、強い奴と戦いたいのは俺の趣味でね。と付け足して哂う様は、ますます男の怒りの火に油を注ぐだけであった。とうとう限界が来たのか、男は発狂しながら渾身の一撃を振り上げた。
「このぉおおおおぉお」
 詰めた距離を一気に戻されながらも、クランフェールは冷静に相手の剣先を見極めて絡め捕った。そのまま剣を地面に叩き伏せる。流れるような動作で、身動きの取れない男の手を蹴り上げて剣を薙ぎ払うと、からんと乾いた音が地面に響いた。そのまま男の頭を掴んで地面に引きずり倒し、身動きが取れないように背に乗り上げる。
「まぁ、そこそこあんたも強かったぜ。俺ほどじゃねぇけどな」
「この狂犬がっ、くたばれ」
 土を噛みながら最後まで咆える男に、クランフェールは悪い気がせず褒め言葉として受け取っておくことにした。最後の止めに柄を相手の首に落として、気絶させておく。
 そうしてちょうど賊の退治を終えたと同時に、入り口からルールーが駆け込んできて状況を確認する。
「これで全部か?」
「俺が見たのはこいつらだけだ。んで、こいつが頭らしい」
 伸びた男を指し示すとルールーは頷き、部下に指示を出す。部下たちはきびきびと動き、賊に縄をかけて外へと連れて行った。
 そんな様子を眺めながら、後は優秀な相方がすべてをやってくれるし、もう自分の要はないと言わんばかりにその場を去ることにする。
「〈雨御子〉様、ね」
 先ほどの男の会話に出てきた〈雨〉御子の存在を思い出し、嘆息を吐く。彼女を連れてくる時――一月前のパラファトイでの海上戦に参加していたクランフェールはあの時の光景を思い出し気分が悪くなった。
 気分転換に外の空気を吸おうと、洞窟を出ると少し騒がしいことに気付いた。 
 どうやら捕まった賊の何人かが隙を見て逃げ出したらしい。
 ばちばち、と気味の悪い音が山に響く。クランフェールはその聞き覚えのある嫌な音が響いた先を振り返り、戦慄を覚える。
「おい止めろ!」
 叫びながら、薄く光る石を持った兵士の下に駆け、その手から石を振り払った。その見幕に兵士たちはぽかんとした顔を浮かべて戸惑う。首を傾げながら戸惑ったようにこちらを見上げる兵たちに、クランフェールは苛立ちを隠せず舌打ちをする。
「てめぇ俺の断りもなく勝手に使うな」
「し、しかし騎士隊長殿からの命令には魔石を使えって」
 一般の兵士にとって自分たちの一番の上司にあたる、騎士隊長の言葉に逆らうことなどできるはずもない。と知りながらも怒りを収めることができない。目の前で魔石を使おうとしていた兵士の胸ぐらを掴みあげて、他の兵士たちにも釘をさす。
「ふざけんな! ここでの指揮は俺がとる。俺が使うなって言ったら使うんじゃねぇ」
「おいクランフェール、どうした。落ち着け」
 騒ぎを聞きつけてきたのかルールーが怒り狂うクランフェールを宥めるも、彼の気が鎮まることはなかった。
「うるせぇ。いいか、ほかの者たちも石は使うなよ。こいつらは生かして連れて帰れ!」
 そう命じて、ほかの兵士の手により逃げた賊を捕まえ直すのを見届けた。隣でルールーがやれやれと呟くのを聞き流し、嫌な汗を拭った。
 クランフェールの頭の中には、光と熱により一瞬ですべてが焼けていく過去の光景が鮮明に駆け過ぎていった。この石こそがパラファトイの船を沈めた、あの火の正体であった。
 あの海の上で使用された魔石の力は彼が想像するよりも壮絶なものだった。人や船が燃えていった臭いを思い出し、ますます気分が悪くなる。
 苦虫を噛むような顔で奪い取った石を見つめた。果たして手の中のこれは、本当に人間が手に入れて良い力だったのかという疑念を抱かざるを得なかった。
 ぽつりと暖かい滴が石の上に落ちる。空を見上げると薄く光る雲がかかっていた。
 そうしてまるで彼らを慰めるように、しとしとと〈雨〉が降り始めた。


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