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二  白き少女への子守歌


 白い白い大きな塔の最上階。本来ならばこの国の天候や〈雨〉を観測するために用意された塔の部屋に白い少女はいた。
 白い少女――オルカは髪の色と同じ真白い睫を細かく震わせ、塞ぎ込んでいた。少女の周りには可愛らしいぬいぐるみや見たこともない色鮮やかな菓子で囲まれていたがどれも彼女の心を惹くものはなく、ただ足に頭を乗せ心を塞いでいた。外ではしとしとと銀色の薄い糸を引く〈雨〉がオルカを慰めるように降っていた。
 〈雨〉の御子と呼ばれる彼女がこの国に連れて来られてからすでに一月が経っていた。
 目を閉じると、自由で和気藹々と優しいフージャたちと過ごしたパラファトイでの時間が思い浮かぶ。それに比べてエルテノーデンに来た彼女の待遇は対極のものであった。高い塔の上に閉じ込められ、呼ばれたときにしか外に出ることはできなかった。外は未だ〈雪〉がちらほらと残り、穢れているからだと説明されていた。
 なぜ外に出てはだめなのか。フージャに会いに行きたいのに、いつも誰かがオルカの側にいて勝手に外に出ることは叶わない。名を呼んでも、自分に優しくしてくれた少年がやってくることはなかった。
 この国では誰もが気味の悪い笑顔を浮かべて〈雨〉の御子様と囃し立てるだけで、窓から見える新緑の海や城下の明かり、見知らぬ土地に見知らぬ人たちに囲まれ怖いと思った。
 帰りたいと叫んでも誰もオルカを助けてはくれない。一人ぼっちの寂しさに少女は三月前に帰りたいと願った。それと同時にあの戦火が蘇り、連れて行かれる時に見えたフージャたちの悲しい顔を思い出しては、自分が居ては迷惑をかけるのかもしれないと相反する気持ちで苦しさが増す。どこにも行けず、居場所を見つけられない迷子の様な寂しさを紛らわすために、腕につけた貝殻のブレスレットを撫でる。ここからあの青い海は遠いだろうが、少しだけ海の匂いがする気がしてオルカはまた涙を浮かべた。
 そんな啜り泣きを上げる少女を側で見ていた黒髪の女はオルカの気持ちを推し量り、可哀想だと思った。黒髪の女はほかの人間と見た目が違い、長く白いローブに身を纏い、何より耳の先が尖っていた。それは彼女が人間でも獣人でもない、エルフという種族である証であった。
 彼女はこの天候の塔の主にして空の賢者と呼ばれる、王に仕えるエルフの一人であった。名をフィーリア・リヴェッタ。普段は空の賢者という名の通り天候を観察するのが彼女の仕事であったが、オルカが来て以来〈雨〉の観測が必要ないことから少女のお目付け役を命じられていた。
 少女の名前を優しく呼びかけ、そっとオルカの座る寝台の隣に腰かける。ふわりとその白い頭を撫でると、びくりと少女は一瞬肩を揺らしたが、次第に甘える猫のようにしな垂れた。
「次は何をしましょうか?」
 啜り泣きを止め、顔を上げてぽつりぽつりと少女が鈴のような声で奏でる。
「あのね、フージャのお姉さんとお菓子を作ったの。そしたらフージャはおいしいって喜んでくれたの」
「そう。じゃあ今度一緒になにか作りましょうか」
「ほんとう?」
 できる限りフィーリアは彼女の心が闇に囚われてしまわないように支えてあげたいと思った。たどたどしく楽しい思い出を語る少女はそのたびに出てくる少年の名を嬉しそうに呼ぶ。その笑顔に胸がチクチクと痛んだが抑え込み、彼女の話に耳を傾けることに努めた。
「えぇ、王様に頼んでみるわ。きっと大丈夫よ。駄目だったときは、一緒に薬でも作りましょう。それならここにある道具で足りるもの」
 泣き腫らした目でこちらを不安げに見上げる少女の目を見つめ安心させるように微笑む。
「薬?」
「薬草を潰して混ぜて薬を作るの」
 フィーリアの指差す先には、机の上に並べられた干した薬草があった。あれを潰して擦るだけなら確かにオルカでも難しいことではない。
「お薬飲んだらみんな元気になるのかな! あ、でも苦いかも」
「じゃあ蜂蜜を入れて甘めに作りましょう。そしたら大丈夫でしょ?」
「わぁあ! じゃあそれをフージャにあげて、元気になったら一緒にまた遊ぶの」
 最近塞ぎ込んでばかりいたオルカがくるくると表情を変える様子に安堵しながら、彼女の中の罪悪感が消えることはなかった。
 そんなフィーリアの心に気付くことなく、オルカは自分に優しくしてくれる彼女のことを快く思っていた。いつもオルカと一緒にいてくれる女の人。年はフージャのお姉さんより上だけど、彼女だけがオルカに優しく接して話を親身になって聞いてくれる。オルカには優しい人だと思えた。だからこの人だけには心を許そう。オルカはそう思い安心して身を預け、睡魔が迎えに来るまで髪を撫で続けてもらった。

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