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三  獅子と角の民


 ようやく厳しい〈冬〉を乗り越え国内の情勢も落ち着いて一息ついた頃、王の下に一人の客人が尋ねてきた。
「どうやら〈角の民〉のようです。如何いたしましょう」
「よい、通せ」
 レオハルトは一つ頷き、伝達係に客人を謁見の間に通すように伝える。しばらくしてノックの音と共に、銀色の髪と片手に弦楽器を持った優男が入ってきた。敷かれた赤い絨毯の上を歩き、彼は王の前に立つが、膝をつき首を垂れることはなかった。代わりに頭に巻かれた布を緩く解くと、その下からは〈角の民〉である証が現れる。
「ご機嫌はいかがでしょう、エルテノーデンの王よ。突然のお尋ねにも関わらず、時間を頂き感謝致します」
 恭しく軽い礼を取る〈角〉の者を見て、獅子は青年を見定めるように目を細める。
 レオハルトにとって〈角の民〉が出てくるのは想定内ではあったが、まさか直々にこの土地に足を踏み入れるとは思ってもいなかった。予想外の出来事ではあったがレオハルトはいつもと変わらない様子で〈角の民〉と向き合った。
「なに構わぬ。それよりも貴殿のような者がこの地に足を踏み入れるのも珍しきこと、何用かな」
 そう尋ねると、青年は口元に手を当て薄く笑みを浮かべた。
「おや。これはまたおかしなことを。あなたは私が訪れた理由を、もう知っているものとばかり思っていましたが」
「さて。パラファトイにも公言した通り、女神は自らの意志で我が地に訪ねて来られた。それを我らが拒む道理はありませんぞ」
 レオハルトが雨の御子ではなく、あえて女神と言う言葉を用いたのに対して、やはり彼はオルカの正体を知っていて招き入れたのだと確信を持った青年は一歩前に歩み出て告げた。
「あの子を〈角の地〉に返して頂こう」
 〈角の民〉の言葉は彼らが崇拝する〈角の主〉の言葉と同義だ。だから青年はまさかレオハルトが首を横に振るとは微塵にも思ってもいなかった。
 断る、とたった一言低い声音が部屋に響いた。青年は聞き間違えたかと首を傾げ、もう一度繰り返したが結果は同じであった。信じられないと、心底不思議そうな顔で獅子を見上げ問うた。
「何故ですか? 私たちの言葉は我が主の言葉です。〈角の主〉が彼女を庇護していることはご存じでしょう」
「この地の真の神は、〈冬の女神〉だ」
 それは青年がパラファトイの民フージャに語った物語の通り、〈角の主〉が降り立つ以前からこの冬の地は〈冬の女神〉が座す地であった。それ故、レオハルトの言葉は完全に間違いではないものの、〈冬の女神〉を見守る〈角の主〉もまたこの地の神であることに変わりはない。
「あなた方は〈角の主〉の言葉を無視すると?」
「長い時の中で〈冬の女神〉の存在は多くの者から忘れ去られ、彼女を庇護する〈角の主〉が表舞台に立つようになったが、例え民が忘れようとも我がエルテノーデンの王族は真に従うべき主の存在を忘れたことはない。今までは彼女を庇護して頂いていたからこそ〈角〉の者にも従ってきた。それが今回の一件はどういったことか」
 確かに対処に遅れたことはこちらに非はある、と青年は頭を下げた。しかし、だからといってエルテノーデンの王が〈角の主〉の言葉を軽視するのは間違っていると、過ちを説こうとするがレオハルトが聞き入れることはなかった。
「言ったであろう、我が従うべきは〈冬の女神〉だ。この一件で我は貴殿たちに対する考えを改めた。もはや貴殿らに彼女を任せてはおけない。やはり我らが主は我らが守らねばなるまいのだっ!」
 それが私の使命なのだとばかりに、誇らしげに、牙を剥きだしに熱弁を振るった。
 困りましたね、と眉を下げそれでもと、もう一度エルテノーデンの王に〈角の主〉の言葉を聞き届けてもらおうと繰り返した。
「〈角の主〉以外に彼女を庇護できるものなどいません。彼女のためにも我が主の望みのためにも、彼女を〈角の地〉に返して頂きましょう」
「どうしてもというのならば我らは武を持ってあなた方を退け、彼女を守り抜こう」
 武力を、と言われてはついに青年は口を噤むしかなかった。エルテノーデンの本気を見せられては、大人しく引き下がるしか道はない。いくら〈角の民〉といえど圧倒的な数の武力に勝てるすべを持ってはいない。それにこのまま話を続けても、平行線で終わりは見えそうになかった。
 やれやれと嘆息を吐き、首を振った。まさかこれほどまでに〈角の主〉の威光と、〈角の民〉の権威がこんなにも薄れているとは、と軽い失望感を抱く。
 踵を返す青年の様子を見てレオハルトは扉の前に居た兵を呼び出す。
「客人はお帰りになるそうだ、外まで送って差し上げろ」
 来た時と同じように兵士に案内されるまま、部屋を出た青年は深いため息を吐いた。困ったものだと、事態の深刻さに頭を押さえる。
 ――なんとも嘆かわしいことだ。一度〈角の地〉に戻り、主に報告するほかないですね。
 頭に緩く布を巻き直して目立つ〈角〉を隠していると、物珍しそうに見つめている兵の視線に気づいてにっこりとほほ笑んで見せた。兵士は慌てて視線をそらすと、わざとらしい咳払いをしてレオハルトから頼まれていたのか、青年に話しかける。
「〈角の地〉に戻るのでしたら、馬車を手配いたしましょう」
 その言葉に一瞬思案しながらも、青年は有難く話を受けることにする。
 同じく素直にオルカを返して頂けたら私の気苦労も減るのですけどね。と思ったが、目の前の兵に愚痴を漏らしても仕方がないと諦め、いつもの微笑を浮かべながら兵士に向かって頷いて見せた。
「それは有難いですね」


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