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六  嘆き悲しき少女の痛み


 王との会談が終わった後、クランフェールたちとは別れてオルカを連れて城内を散歩しようとフィーリアは提案した。けれどすぐに、それは失敗だったと気が付いた。
 ――あれが〈雨〉の……。
 ――〈雨〉の御子様だ。
 ――〈雨〉の御子様!! あぁどうか我らをお導きください!
 そんな声が王城の廊下であちらこちらから聞こえてくる。異様に熱の籠った視線でこちらを見てくる者もいれば、その場で膝をつき祈りを捧げる者、直接オルカに近づいて感謝の言葉を告げる者もいた。その度にフィーリアが一歩前に立ってオルカを守り、何かと言いくるめては逃げ去るように後にした。
 ようやく人気の少ない廊下まで辿り着き、人心地着くとそれまで大人しく黙っていたオルカが不安げに眉を寄せて、か細い声でフィーリアの名を呼んだ。
「ねぇ、リアお姉さん。どうしてみんなオルカのことみてるの? それに〈雨〉の御子様って呼んでくるし、オルカはオルカっていう名前があるのに。それに〈雨〉は主様がオルカのために降らせてくれているだけだよ?」
 オルカはもやもやとする感情に不安が押し寄せ、心細げにフィーリアのローブの裾を握りしめた。そこから伝わる少女の不安に気づき、彼女は謝りながらオルカの頭をそっと撫でた。
「ごめんなさい、ここは居づらいわね。そうだわ、庭に綺麗なお花が咲いているのだけれど、見に行かない? 今日はとても良い天気だし」
 まるでピクニックのような素敵な提案にオルカは素直に喜んだ。その様子を見て満足したフィーリアは、そうだと料理長にお菓子を作ってもらいましょうと提案を重ねた。お菓子と言う言葉を聞いてオルカは良いことを思いついたように跳ねて答えた。あのパラファトイで食べた菓子をフィーリアにも気に入ってもらえたら、嬉しいなと思いつきそれがとても素敵なことであるように思えた。
「蒸しパンがいいな!」
「パラファトイでは蒸しパンが主流なのね。こちらでは焼き菓子が多いけど、料理長なら作れるかもね。お願いしに行ってみましょう」
 二人は手を繋ぎ、厨房へと続く東の廊下へと向かった。その途中、見知った声に後ろから呼び止められる。振り向くと先ほど会話をした男と似た顔つきの、けれど別の男が立っていた。
「アルフレート……何か用かしら」
 アルフレートはいつものしかめっ面に冷たい視線でフィーリアとオルカを見遣った。それから顎でオルカを示し、鼻で笑うかのように言った。
「あまりそれを連れだすな。王の大事な道具、いや客人だったな。まぁどちらでも良いが」
「ちょっと失礼なこと言わないでくれるかしら」
 オルカの前で彼女を道具呼ばわりしたことに怒りを隠せず、詰めるように言うが、アルフレートの態度は変わることはなかった。冷たい瞳で見つめられオルカはフィーリアの後ろにさっと隠れた。
「何だって良いさ。この国に〈雨〉を齎せてくれるのならな。国のため延いては王のために使えるものならなんだって使うのが俺の役割だ。私にとってはお前もそれも、そして私自身も、例えどんな存在であろうとも王のための道具に過ぎん。なら道具も客人もどちらとて変わりはないだろ」
「どうぐ……」
 オルカはアルフレートの言った言葉を小さく反芻する。言葉の意味をあまり理解していなさそうな少女の様子を見て、アルフレートは眉間のしわを深めながらため息を吐いた。
「まぁ良い。面倒事が起こる前にさっさとあの塔へ戻るんだな」
 言いたいことをさっさと告げると、来た時と同じように颯爽と男は去って行った。誰もいなくなった廊下に取り残されたオルカはギュッとフィーリアのローブの裾を握った。
「オルカ、ここにも居ちゃダメなの?」
 もしかしたらパラファトイと同じくここにいたら誰かに迷惑をかけてしまうのではないかという、不安に駆られ、オルカは泣きそうな顔で眉を下げた。
「ううん、そんなことないわ。オルカはここに居ていいんだよ」
 そう言って優しく頭を撫でられ、オルカは不安が少し解けていくような気がした。そして悲しみを閉じ込めるようぎゅっと目を瞑り、泣くのを我慢する。
「ごめんね。部屋に戻りましょうか」
 オルカは小さな声で頷き、フィーリアの手を離さないように繋ぎながら部屋へと戻った。その途中で、庭の花の一部がまるで自分の代わりに泣くように枯れて花びらが舞い散っていたのが見えた。
 バラバラハラハラと自分の心の中の様だと思いながら、風に乗って舞い上がる花びらを見つめ、自分は遠く飛ばされないようにと強くフィーリアの手を握り直した。

 アルフレートが王室に戻ると、レオハルトは窓辺の席でじっと外を見ていた。
「王よいかがでしたか?」
 そうアルフレートが尋ねると、先ほど白い少女との会談を思い出しているのか目を瞑り静かに吐息を漏らす。
「あぁ、とてもとても白く雪のような美しさであった。まさに彼女は神に愛された子に違いない。もはや〈角の地〉はあてにならず、海国はあまりに無知で、砂漠の国は野蛮すぎる。ならば我らが彼女をお守りせねば。神は我が国で守ろう」
 さすれば彼女たちの加護が与えられ、民が苦しむことはなくなる、とレオハルトは祈るように、壁に掛けられた角の主の絵のむこうに彼女らの姿を浮かべ見つめていた。
 そんなレオハルトの様子にアルフレートは、仰せのままに、と決まりきった言葉を返す。
「ところで一つ気になる噂が耳に入りました」
 なんだ、と顎を向けられたので、アルフレートは続けて先ほど兵から回ってきた報告を読み上げる。 
「他愛もないことなのですが、どうもポルトヴィルタで彼女を探しているパラファトイの少年がうろついているそうです。何も知らないとは思いますが、万が一彼女の正体を知っているものかもしれませぬ」
 ポルトヴィルタ――エルテノーデンの最西にあるパラファトイとの貿易で栄える港町だ。
 レオハルトはしばらく考え込んだ後に、探し見つけ出して目的を探って来いと命じた。それに応えるようにアルフレートは頷き、部屋を辞する旨を伝えた。
「頼んだぞ。彼女の価値を知らぬ人間が近づいてはならぬ」
 そうして獅子の王は深く椅子に座り、目を閉じた。


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