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九  オルカと魔石


 真夜中の来訪者は突然現れた。高い塔の最上階にも関わらず、開いた窓から見覚えのある緑の軍服に身を包んだ男が入ってきたのだ。
「よぅ、元気か」
「クランフェール! あなたどこから来てるのよ?」
 気にした様子もなくずかずかと入り込んでくるクランフェールにフィーリアは驚いた。窓から入ってきたことももちろんだが、部屋の周りには見張りの兵が数名いるし、オルカのいる現在は関係者以外立ち入り禁止を命じられている。見つかれば厳しい処罰を受けなければいけない。それなのに何事もなかったかのように平然とした顔の男は、何も考えていない馬鹿なのか、恐れを知らない大物なのかどちらかだろう。
「まぁちょっと知り合いに頼んでなー。けど入り口の頭の固い兵士は見逃してくんなかったから、こうやって下の階の窓から上って来たんだよ」
 子供のいたずらが成功したような笑みを浮かべて答える様子に、フィーリアは頭が痛くなった気がしてこめかみを抑える。
「馬鹿じゃないの? わざわざそんなことまでして何しに来たのよ」
「おいおい、はるばる忍び込んでまで来た友人に言うセリフか」
 二人の始めたそんなやり取りを後ろの方で、ぽかんとした顔でオルカは見詰めていた。見たこともない来訪者に首を傾げて少女はその小さな口を開けた。
「お兄ちゃん、誰?」
 その誰何にクランフェールは、やっとオルカに気付いたようにまじまじと少女を見つめた。その時改めて間近に見る〈雨〉の御子と呼ばれる少女が、本当にその見た目が真白いということ以外は、ただの小さな少女であることにクランフェールは内心驚愕した。
「このおチビさんが〈雨〉の御子様ってか。ふーん、ちいせぇな。何歳だ?」
「オルカはねー今年で12だよ」
 オルカは自分の小さな手を1と2、と両指を折って答えて見せた。
「そっかそっか、あんたオルカっていうのか。俺はクランフェール。あんたを守る騎士ってやつだ。まぁなんかあったら言ってくれ、上に話しつけるぐらいはしてやれると思う」
 気さくな感じでクランフェールがオルカに話しかけると、彼女はきょとんと首を傾げてから、納得したのか手を上げて答えた。その仕草に実際の年よりも少し幼さを感じたが、彼女の境遇を思えばそれも仕方がない、と思えた。
「きし? あ、オルカ知ってるよ! おとぎ話でお姫様を助けてくれる人だよね」
「ん、あぁそうだな。あんたを悪い奴から守るのが仕事だ」
「じゃあじゃあオルカをこっから出してくれるの? フージャに会わせてくれる?」
 そんな幼いオルカの純粋な言葉にクランフェールとフィーリアは顔を見合わせ、困ったような表情をした。少女の願いが叶うことは、王が望まない限り在り得ないのだ。クランフェールは誤魔化すように肩をすくめ、あいまいに笑いながら少女の白い頭に大きな手を置いた。
「んー、あー、悪い奴がいなくなったら出られるさ。それまでさ、ちょっと辛抱しててくれないか?」
 オルカと目線を合わせるために膝を折りながら、曖昧な笑みを浮かべてそう言うと、疑うことを知らない幼い少女は純粋なまなざしをクランフェールに向けて笑顔になる。
「ほんとうー! それっていつかな? もうすぐ??」
「あんたがいい子にしてればいつか、な。……そうだ、飴食うか?」
 少女の笑顔を守り抜くことは仕事ではないとはいえ、予想以上に小さな子供にクランフェールはどう扱ったら良いのか分からなくなった。とりあえず子供なら喜びそうなものを持っていたことを思い出し、懐から探る。
「ちょっと、勝手に餌付けしないでよ。仮にも御子様なんだから気軽に扱っちゃダメよ」
「細かいこと気にすんなって。御子ったってこの子もまだ子供だろ?」
 窘めるフィーリアの言葉を聞き流しながら、懐から飴を出そうとごそごそと探していると、袖に引っかかったのか薄く光る石が床に転げ落ちた。急いで拾い、落とした拍子に欠けたり、壊れてしまったりした様子がないかを確認して安心する。けれどオルカは飴玉よりもクランフェールの手の中にある石に興味を示したのか、物珍しい様子でまじまじと見つめていた。
「これなーに? きれいだね」
 興味津々といった様子で目を輝かせながら石を見つめる少女に、クランフェールはしゃーない。と呟きながら、オルカの手を取って手のひらの上に魔石を乗せてあげた。
 冗談めかして、こいつは秘密な石だから他の奴には内緒にしてくれよと言うと、少女は元気良く返事をして返した。手の中でキラキラと輝く石にオルカは大変ご満悦だ。
 きゃっきゃとはしゃいで蝋燭の灯りに翳してみたり、裏っ返しにして眺めてみたりと楽しそうである。
 やっぱり子供ってのはキラキラしている物が好きだよな、と一人頷きながら、まるで幼子が硝子細工を宝石のように大切にする光景を微笑ましく思った。しかし、ちょっと! とかなり本気でフィーリアに怒られ、非難される。
「わかったわかった。お嬢ちゃんおしまいだ。これは危ないから、こっちやるよ」
 肩を竦めて、オルカから魔石を受け取り代わりに今度こそ綺麗な包装に包まれた飴玉を小さな掌の上に落とした。
「ありがとう」
 にこにこと喜ぶオルカの様子にクランフェールは彼女の頭に手を置き、くしゃりと撫で上げた。
「どーいたしまして、っと。そうだ用件を忘れるとこだった」
 〈雨〉の御子の存在に気を取られて、すっかり忘れていた最初の用事を思いだし、オルカとのやり取りを不安そうに見つめていたフィーリアへと向き直る。何よ? と怪訝な顔を浮かべるフィーリアにクランフェールは、最初は言い難そうにしていたが再度促されて漸く口を開いた。
「あー、あんた魔石を使ったことはあるか? コツがあったら聞きたいと思ってな。んで今度こそアルフレートの奴にギャフンと言わせてやらぁ」
「呆れた。また喧嘩したのね。それで私に聞こうと思って、こんな危険を冒してここまで来たの?」
 そう言われて、悪いかよと子供のように拗ねると、別に―と返しながらもフィーリアは呆れた様子だったが、それからクスクスと笑いだした。今度はクランフェールが怪訝な顔を浮かべる番となる。
「あなたは変わらず子供のままね。人間ってもう少し早く成長すると思っていたけど。オルカの方がよっぽど大人よね」
 急に自分の名前が出てきてオルカは首を横に傾げながらも、嬉しそうにフィーリアに抱きついて尋ねた。
「オルカはもう大人?」
「えぇ、そこの誰かさんよりはオルカは大人よ。最近はたくさん本も読めるようになったし偉いわ」
 フィーリアが偉い偉いとオルカの頭を撫でると、きゃきゃと少女は喜びの可愛らしい声を上げた。そんな光景を見ながら、場違いな空気に居た堪れなくなった。
「あーいきなり押し入ってきて悪かったって。もちろんアルフレートに勝ちたい、ってのもあるけど、いざって時に国を守るためにもちゃんと使えるようになっていた方が良いと思ってだな、一応俺も騎士だし、王のためなら力を惜しまないというか」
 照れくさそうにそっぽを向いて語尾を弱めながら言う様子に、フィーリアはクスクスと笑いながらも、あなたってなんだかんだ言って真面目よね。と呟く。
「はぁ? 俺が真面目って気持ち悪いこと言うなよ」
 照れ隠しにそう叫ぶが見透かされているのか、はいはいと流されるだけであった。
「そういうことにしておいてあげる。で、なんだっけ。魔石のコツだっけ? 一応王のためなら協力してあげるわ」
 照れくさそうにしているクランフェールを見て、オルカとフィーリアは顔を見合わせて笑った。今日はもう遅いので、また明日と告げられて追い出され、しぶしぶ塔を後にするのであった。


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