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十  出会いは突然に


 クランフェールが天候の塔に忍び込んでから数日、魔石の訓練もフィーリアのおかげで無事に熟すこともでき、城内は平和な日々が続いていた。
 一方街ではどこかの旅の商人が持ってきた、「他国の者たちがエルテノーデン領内に入り込んでいる」という怪しい噂が広まりつつあった。ようやくやって来た〈雨〉の御子のおかげで長い〈冬〉が終わろうとしているのに、また戦争が始まるのだろうか、という民衆の不安からか、街中はすっかり不穏な空気が流れ始めていた。
 その噂の一つに港町――ポルトヴィルタに見慣れぬ褐色の少年が徒党を組んで怪しい動きをしていると報告が上がり、噂はどうあれ真偽を確かめるためにクランフェールはポルトヴィルタへと赴くこととなった。
 慣れ親しんだ山を下り、王都から遠く離れた海の見える街まで降りると、街の中はパラファトイとの争い事などなかったかのような活気を見せていた。
「人が多いな」
 パラファトイとの交易はまだ再開されてはいないが、水揚げや商人、それに船の再開を待っている人たちで溢れているのだろう。
 手早く宿の手配を済ませ、遠くまで運んでくれた愛馬を労ってから酒場か港で情報を集めることにした。しかし日が傾くまでクランフェールは、虱潰しに大通りや路地裏の怪しい店などいくつもの店を回り、情報を集めに酒場などにも顔をのぞかせたが、これと言った成果は上がらなかった。
 誰もが首を横に振り、まだ癒えることのない〈雪〉の傷跡を恐れている様子であった。中には未だ〈雪〉の残る村から避難してきている者などもおり、角の主に祈りを捧げたり、クランフェールに〈雨〉御子にお願いしてくれ、と縋り付いてくる者もいた。そんな人々をどうにか振り切り、ろくな情報を得られないまま半ば諦め気味に港まで足を運んだ。
 王都に情報が届いたのは二週間ほどばかり前で、恐らく一月くらいは滞在しているのだから、噂になっていてもおかしくはないのだが。と考えながら、欠伸を噛み殺す。港町はそれなりに広く、路地裏も多いから隠れる場所には事欠かないだろう。ポルトヴィルタの憲兵もあの事件以来大人しいと聞く。予想以上に難航しそうな様子に溜息を吐くが、もし隣に誰かいれば一日で見つかれば苦労はしないだろうと突っ込まれたに違いない。
 そんなことを考えている間に運良く、丁度漁から戻って来たばかりの小さな船を見つけたので、降りてきた老人を捕まえて話を聞くことが出来た。
「おい、あんた。この辺りにパラファトイの子供を見かけなかったか? 怪しい活動をしているらしいんだが」
 老人は話しかけてきた男が騎士だと気づいて、珍しいものを見るかのようにしばらく観察してから、緩く口を開いた。
「おー、こんな片田舎にご苦労なことで。パラファトイの子供ね。見たよ」
 まさか一人目で当たるとは思っていなかったクランフェールは何? と驚く。どこで見かけたのか深く尋ねると、老人は記憶を辿っているのか顎に手を当てながら雲をみた。
「よく〈雨御子〉様の話をしている少年だろ? 〈雨〉がどうとか〈冬〉がどうとか言って人を集めているのを見かけるよ。ここ最近は見かけないが……贔屓にしている店によく出入りしてる話だな」
 最近物忘れが激しくってな〜、と下手な芝居をうつ老人に、心で舌打ちをしながら懐から銀貨を一枚取り出して握らせた。
「まいど。ダリアっていう酒場によくいるよ。頭にバンダナ巻いている子供だで、会えばすぐにわかる」
 老人から詳しい場所を聞いて、急いでそこに向かう。
 それは港はずれにある小さな酒場だった。夕暮れ時だが仕事を終えた男たちが早くも訪れ、店の中は賑わっていた。中に入るとチリンとドアベルが鳴り、適当に空いている席に着いた。一見見回したところバンダナを巻いた子供の姿はない。
 すぐに若い女性がメニューを伺いににこにこと愛想笑いでクランフェールの下に近寄ってきた。
「いらっしゃいませー。騎士様がこんなところまで珍しいですね。なににします?」
 仕事だ、と適当に返しながらとりあえず腹に入れれるものをと注文する。店員がかしこまりましたと厨房に戻る前に引き止め、探し人に心当たりがないかを尋ねるておく。するとすぐに彼女は、あぁと頷いた。
「もしかしてフージャのことかしら」
「その子供はどこにいる?」
 ここまで来て空ぶりはごめんだと、クランフェールが強めに尋ねると店員はえーとと呟きながら答えた。
「今日はまだ見てませんが、来たら声はかけておきますね」
 頼むと返し、料理が来るまで店の中を観察する。裏口はなく、二階へ続く階段もない小さな店だった。これなら探し人がやって来ても出入り口が一つならば逃げも隠れもできないので安心である。
 それからしばらくして香ばしい臭いを漂わせて料理が到着した。海鮮物が山盛りに乗った炒めた飯である。匙でつつきながら、口に運んでいく。味は悪くはない味であった。味の強いスパイスの中魚介のあっさりとした味が口の中に広がる。
 半分くらい食べ終えた頃、向かいの席に誰かが座ってきた。相席にいちいち文句を言う必要もないので、しばらく経っても子供が来ないようなら、一度宿に戻ろうと考えながら、皿を空けていく。
「その腰の布、誉れ高き騎士の方と見受けました。俺と話をして頂けませんか」
 こっそりと話しかけられ、改めて座ってきた人物を見ると頭にバンダナを巻いたいかにも船乗りが好んだ格好をした少年であった。彼の言った通り、エルテノーデンの国に仕える者は腰に巻いた布の色で階級が分かる仕組みになっており、クランフェールの腰には、彼が騎士であると示す黄色の腰布が巻いてあった。
 相手の真意を諮りかねながらも、口に入っていた食べ物を水で流し込んでから、クランフェールは尋ねた。
「あぁ? あー、あんたが手配書のガキか?」
 少年は軽く会釈をして、クランフェールと同じ卓についた。それを横目で見ながら、すぐにフージャを捕まえようとする様子もなく相手の出方を面白そうに眺めながら、まだ皿に残っているチャーハンに匙を入れて口に運んだ。
 少年も気にした風もなく、どこか緊張した面持ちでクランフェールと向き合った。
「御覧の通り、パラファトイの民です。どうしても城の方と接触する必要があって」
 その一言にクランフェールは眉を上げ、だらしなく匙をびしっとフージャに向けて言った。
「情報は嘘ってか。何が目的だ?」
 わざわざ騎士がやってくるようにわざと目立つ行動をして、誘き寄せたのだ。それ相応の理由と事情があるとみて、クランフェールは気を引き締めた。相手の真意を見抜こうと、鋭い眼差しでフージャと初めて面を突き合わした。
「……いえ、俺が〈雨〉の御子を探しているのは本当です」
「だったら何故〈雨〉の御子を探して何をしている?」
 クランフェールのその一言を待っていたとばかりにフージャは顔を引き締め、何の曇りもない目で真っ直ぐにクランフェールと向き合った。まだ幼さの残る声だが、それでもはっきりとフージャは言った。
「彼女を連れ戻したいんです」
 けれどクランフェールはフージャのその願いを一蹴する。馬鹿馬鹿しいと投げやりな態度でフージャに言い放ち、相手にしてられないとばかりに犬を追い払うような仕草で手を振った。
「断る。あれは我が国で預かっているものだ。それに御子自身の意志でこちらにいる、とそうパラファトイには伝えたはずだぞ。それをお前みたいなガキが連れ戻すだって? はは、笑わせてくれる」
 鼻で馬鹿にしたように笑う騎士の様子に、フージャは連れて行かれた時のオルカの顔が頭の中をよぎり、かぁと頭に血が上ってバンと机を叩いて勢いよく立ち上がって叫んでいた。
「無理やり攫って行ってなんて言い分だ! 俺はオルカを助けるためにここまで来たんだ」
 自分の意志でオルカは連れて行かれたわけではないと、あの時の自分の無力さを悔やみながら唇を噛んで俯く。叩きつけた手を握りしめ、震える声をどうにかと言った感じで絞り出した。
「それにこのままだとこの国は拙いことになる。あなたも俺の話を聞いたら分かりますよ」
 低い声で真剣に語る少年と正反対にクランフェールは嘲笑を浮かべるだけであった。一体どれだけの秘策を持って、この少年は他国へとやって来たのか。それとも無謀にも若さゆえの愚行に走っているのか。船も連れずに単身で敵国に乗り込むとは、それこそまるでおとぎ話の騎士にでもなったつもりかと嘲る。
「おいおい、お前みたいなガキに何ができるっていうんだ。この国で何の後ろ盾も持たないパラファトイの子供が」
「だから俺はあなたに力を貸して頂きたくてこの機会を待ってたんだ」
「へぇー面白いな、いいぜ。せっかくここまで来たんだ、あんたの話聞いてやる」
 どことなく少年の瞳にただならぬ雰囲気を感じ取ったのか、クランフェールは少しだけなら話を聞いてやると、続きを促せた。
 フージャは自分を落ち着かせるように深呼吸をしてから、椅子に座り直した。それからしばらく間を置いてから決心したかのように真剣な表情で、古い昔語りを紡ぎ始めた。
「白い、姿の女神が座り、果ての大地は、口を噤んでしまった……」
 それはフージャがパラファトイで〈角の民〉から聞いた〈古の女神〉の話である。
 クランフェールは少年の口から語れる物語に一瞬ぞわりと身体を震わせた。なんだか分からないが、まるで目の前に白い景色が見えるようだった。気づけば黙って最後までフージャの話を聞き続けていた。
「〈角の民〉の方が、俺に密かに教えてくださいました。何故主様に愛されたはずの彼女に〈角〉がないのか。そもそも、雨が降るというのはどういうことなのか」
 ごくりと、それはどちらの音だったのか。乾いたつばを飲み込む音が響く。
「オルカは、〈雨〉を齎す存在ではない。その逆だ」
 そう言い放ったフージャは、騎士の反応を伺いながらコップの水を飲み干した。からからに乾いた喉に冷たい水が染み渡る。
 しばらく二人の間に静寂が訪れた。俯き加減になったクランフェールの表情は伺えないが、フージャは彼の反応を待つ。けれど次の騎士の反応は、少年は予想すらもしていなかったものであった。俯いて肩を震わせていたかと思うと大声で笑いだしたのだ。
「っ―――く、ははははは。いや良く出来た話だな。〈冬〉だ〈女神〉だなんて良く思いつく、感心したぜ」
 僅かな希望を抱いていた少年はそんな騎士の態度から、全く相手にされていなかったことに対して愕然とした。
「俺の話は妄想じゃない。あなただって何か感じるところがあったでしょう」
「まぁ確かにそれが本当ならやばいけどなぁ、悪いが今のあんたの話を信じる根拠がないんでね。それに王があれを〈雨〉の御子だと仰っているんだ。彼女は間違いなく〈雨〉の御子だよ」
 確かにフージャの話は興味深いものであったが、全く何の証拠も確証もなかった。言葉だけならクランフェールにとっては王の言葉の方が何より上である。
 クランフェールは面白い話だった、と言ってさっさと席を立とうとした。けれどもフージャだってここで引きさがるわけにはいかなかった。何としてもオルカの下へたどり着かなくてはならない。そのためには城へと連れて行ってくれる力のある者の協力が必要であった。
 どうにか引き留めようとフージャは真摯に騎士に呼びかける。
「俺はフージャ。パラファトイの長サガイの、世継ぎです。確かに信じがたい話だと思います。けれど、その話を俺が、此処にしに来た。その意を汲んで頂きたい」
「そう言われても〈雨〉は降ったんだ。おかげでようやく〈冬〉も終わろうとしているし、〈雪〉の影響も収まってきている。この国にはまだ彼女の力が必要なんだ。それに急にそんな作り話のような話をされたって信じることなんかできるかよ」
 そんなクランフェールの言い分にフージャは、オルカは道具じゃない!とついに怒鳴った。
「考えて! 〈角の主〉の姫なら、真っ先に此処に――〈雪〉害に泣くエルテノーデンに来て雨を降らせたと思わないか!? 彼女は〈角の御方〉の意思の内にないんだ」
 それでもクランフェールは関係ないなと相手にしていられないとばかりに、空になった皿に匙を投げ、今度こそ立ち上がってフージャを見下ろした。
「さぁ他に用がないなら退け。お前は無害だと王に報告しなければいけないんでね。さっさと国に帰って寝物語は寝てから言うんだな」
 ガキと呼ばれたことにフージャは肩を揺らして言い返すも、騎士はどこ吹く風と言った様子で無視して扉へと向かった。ひらひらと手を振りながら扉を開けるとぼそっとフージャの声が届いた。
「騎士の割になんて礼のない人なんだ」
 その言葉にクランフェールはからからと笑いながらその場を去った。


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