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十三  月下に揺れる悲しき涙


 真夜中、クランフェールから話があるという伝言を兵士から貰ったフィーリアは、待ち合わせた城内の庭園に訪れていた。恐らくリックたちから報告を受けた魔石の件なのだろうと察し、何と言ってごまかそうかと考えながら気まぐれに歩いていると、普段はあまり行かない庭奥へと辿り着いた。
 だがその気まぐれさが、あるいは必然だったのか。そこで見た光景は今のフィーリアにとっては酷い衝撃を受けた。
「これは、〈雪〉っ……」
 花壇に植えられた時期のはずの百合たちが一部だけ不自然に枯れ始めていた。
 飛び跳ねた心臓がどくどくと波打ち、手の先はみるみる体温を失っていく。恐る恐るそっと花びらに手をかけるとそれは粉のようにはらはらと砕け散る。慌ててポケットからハンカチを取り出し、地面を布越しに手で掘ってみると白く濁り始めているのが見て取れた。つぅと嫌な汗が背中を伝う。 以前の〈雪〉は全て〈雨〉が流してくれたし、〈冬〉も終わりをみせていたはずだ。ならこれはオルカが近くにいる影響が齎したものに違いなかった。
 予想以上に早く出現した〈冬〉の女神の影響にフィーリアは顔を青くし、肩を震わせた。
「まだ、大丈夫。これくらいならまだ貴族たちにはばれないわ」
 大丈夫と自分に言い聞かせるように呟く。王に報告してこの辺りを人払いしてしまえば、しばらくは新たな〈雪〉の出現がばれることはないだろうとそこまで考えて、頭を冷静にするために深呼吸をした。
「とにかくクランにばれないようにしないと」
 このことが誰かに気付かれれば事態は余計に悪化し、混乱を招いてしまう。クランフェールにだって気づかれてはならない。どうか気づかれませんようにと祈りながらフィーリアは約束の場所へと足を進めた。
 月下に浮かぶ白い花。手入れの行き届いた白い花は月の光を浴びて薄く輝いている。
 綺麗な光景だが、夜の庭園は暗く人気もない。余程の用がない限り誰も訪れない庭園の噴水の前で花を観賞するでもなく、クランフェールは突っ立っていた。
 石の賢者は何かを隠している上に何より信用できる情報がこれっぽっちも持っていなかったクランフェールは、一番相談できそうなフィーリアに話を聞きたいと思い、急ぎ呼び出した。
 それに彼女は普段オルカの一番近くにいるのだ。もしかしたらオルカの正体を知っているかもしれないし、もし知っているのだとしたら何故王に告げないのか。もしくは本当に王は知っていて招いているのか。このまま彼女がこの国に居続ければ、どうなるのだろうか。そんな疑問がクランフェールの中でぐるぐると駆け廻る。だが同時に、きっと彼女の話を聞けば何か打開策が見つかるのではないかという淡い期待も持っていた。
 いくらエルフが傍観者であると言っても、誰かが動き出し、正しい道を歩むのであれば一緒に歩いてくれるに違いない。それは大きな自信になる。だからクランフェールはフィーリアに自分の考えが正しいことを認めてもらいたかった。
「こんな時間に呼び出してどうしたのよ?」
 頭を抱えながら悶々としていると、背後から待ち人が現れた。少し顔色が青く見えるのは月光のせいだろうかと首をひねりながらも、クランフェールは焦りを抑え込み、なるべく冷静に今日起った出来事をできるだけ詳細に説明した。
 彼が塔に忍び込みに行った夜、オルカが触れた魔石から〈冬〉とみられる現象が起こったこと。ポルトヴィルタで出会った少年にオルカが〈雨〉の御子ではないと言われたこと。ベルクが何かを知っていて隠している様子であったこと。
 自分の中で整理しながら話を進めるたびに、フィーリアの顔がどんどん曇って行くのが分かった。
 やがて最後まで説明し終えるころには彼女の顔色は青白く無表情で、そこにはどんな感情も浮かび上がっていなかった。そこでクランフェールは確信に近い形で尋ねた。
「なぁ、お前はあいつの正体を知っているのか?」
 それでもフィーリアは首を横に振って、オルカは〈雨〉の御子だ、と言う。もちろんクランフェールは納得がいかないと言い返した。ベルクは何かを知ったうえで故意に隠しているし、彼女が本当に〈雨〉の御子であるならば魔石の異常現象は起こりうるはずがない。それが何よりの証拠ではないか。
「そうなら魔石の異常現象の説明がつかない。あの子はもしかして〈冬〉のーー」
「違うわ!!」
 遮るようにして被せられた声。静かにもう一度まるで自分に言い聞かせるように、少女は〈雨〉の御子なのだと繰り返す。
 そしてそのまま言い逃げるように去ろうとする彼女に、クランフェールは腕を掴み逃げ道を塞ぐように詰め寄った。いつもと明らかに様子が違うことにクランフェールも焦燥に駆られていく。
「おい、リア。お前もベルクの爺さんも何を隠してるんだ? あの子は〈冬〉の女神っていうのと何か関係があるんじゃないのか!」
 ベルクと同じく何かを隠していそうな彼女に向かって捲し立てるように言うと、フィーリアはわずかに顔を下げ、目をそらした。高ぶる感情と逆にクランフェールの頭は冴えていくようだった。
 〈雪〉があるから〈雨〉が降るのであれば、オルカが〈雨〉を呼んでいるのではなく、結果的にそう見えているだけなのだとしたら。それはフージャが語った話と一致する。
 彼女の反応を見逃すまいと、追い詰めるように詰問する。
「もしあの子が何かしら〈冬〉に関係しているんだとしたら、あいつの力に惹かれて〈雨〉が降っているってことなんじゃないのか? これを王は知っているのか?」
 全部推測でしょ、と言い返され、一瞬言葉に詰まる。証拠がない限り確かに推測だと言い切られてしまえばそれまでだった。
 だがそこでクランフェールは引くことはせず、彼の体を押しのけて逃げようとする彼女を離さまいと、気が付けば彼女の肩が白くなるくらい力を入れて掴みかかっていた。
 お互いに視線を反らさず、数十秒見つめ合う。それは艶めいたものではなくどちらかと言えば親の仇を見るかのようだった。けれどやがて、クランフェールの剣幕に押し負けたのか、フィーリアは逃げることをついには諦めた。
 重いため息を吐いて、あんたの推測話聞いてあげるわ、と続きの言葉を促した。
 クランフェールも彼女に逃げる様子がないことを悟り、肩に置いていた手の力を解いた。
「もしオルカが〈冬〉の女神という話が本当ならどうにかする必要があるだろ。王が何を考えているかは知らんが、もし国民にこれが知れてみろ、暴動が起きかねないぞ」
 いくら女神とはいえ、それが〈冬の女神〉の姫だというのであれば民がどのような行動に出るか分からなかった。けれど少なからず大混乱が起き、悪い方向へと流れることだけは容易に想像がついた。下手をすれば王の立場だって危うくなるだろう。
「どうにかって、それは彼女を追い出すってこと?」
 きっ、と睨まれ冷たい声音で言い放たれ、その気迫に思わずたじろぎそうになったが、わかっているというポーズで手を上げて落ち着けと宥めた。
「それも考えたが根本的な問題が解決しないだろ。だからよ、俺なりにこの現象のことを考えてみたんだが、もしかしたらこの魔石でどうにかできるんじゃねーか? ようはあの異常現象が、オルカの中の力がこうぐわーと流れてしまったものだとしたら、それを続けてたら〈冬〉の力が全部魔石に流れてあの子から力がなくなるってことが出来るかもってことだろ」
 思い付きではあったが、強ち的外れではないのではないかと感じていた。
 魔石が自然界にあるエネルギーを吸収するもので〈冬〉の力も同じく吸収できるのだとしたら、そうすれば彼女の中にある力が無くなるまでやってしまえば、良いのではないかと。例え完璧には無理だとしてもいくらか弱めることが可能ならば、今よりもオルカの今後の可能性が広げることが出来る。
 ただ嘆きに明け暮れるよりも、できる限りのことを試したいと思っていた。クランフェールと言えども、罪もない少女に罰を与えたいとは思わない。
 だから一生懸命考えて行き着いた答えを、 けれどもそれすら彼女は否定をした。
「そんなの素人の憶測にしか過ぎないわ。全然、確証がないじゃない。それにもし仮に彼女の力が無くなったとして、それからどうするの? 力のなくなった御子だなんて何の価値もないわ。すぐに追い出すか、若しくは誰かの怒りをかって殺されるかもよ」
 ならば元の場所に返そうと言うクランフェールに、彼女はやはり首を横に振った。
「元の場所ってどこよ? もうあの子はここ以外にいる場所なんかないのよ」
「オルカが会いたがっていたやつがいるだろう。名前なんて言ったか忘れたけどよ。まぁ、そういつのところに送ればいいだろ。もしくはさっき話したオルカの正体を知っている少年に引き渡すか。どちらにせよ悪いようにならないはずだ」
 オルカが会いたがっていた少年に、それにポルトヴィルタで出会った少年の名は何と言ったか――クランフェールはおぼろげな記憶を辿りながら、少年の顔を思い浮かべながら言った。
 彼にオルカを渡して、少女の望む人の下まで手引きしてもらえば、それですべてがうまく行きそうだ。けれどもフィーリアは認められないと否定する。
「全部あの子の力目当てだったら? 信用できないわ。それに角の地も角持ちでもない普通の子を招き入れるとは思えないわ。あそこは神の降りる神秘の地だもの」
 もちろん知り合いでもない少年のことを全て知っている訳ではないので、そう言った可能性があることも百パーセント否定することはできないが、それでも彼がそんな人間だとはクランフェールには思えなかった。きっとフィーリアも彼に会えばそれが分かるに違いないがそれは到底叶わないことだった。
「でもここに閉じ込められて一生を過ごすよりましだろ」
 塔の中で、城の中で死ぬまでずっと閉じ込められたまま一生を過ごすよりは、例え多くを望めなくなっても自由な生き方ができる方がよっぽどましだと思えた。が、残念なことに彼女の考え方はクランフェールとは真逆のものだったらしい。
「いいえ! あんたはあの子から居場所を取り上げるの? 力を失ってしまえば誰も見向きもしなくなるわ。あの子の慕っている子が、彼女の力に興味のない人間だったなら……、それならここに居た方が裏切られることなく傷つかなくて済むわ」
 叫ぶように発せられたその言葉に、クランフェールは信じられないという顔をした。それこそ彼女の推測ではないか。
「っ、お前本気でそう思ってんのか?」
 苛立ちを孕んだ声にフィーリアの肩が揺れた。俯いて震える腕に手を置いて、自分を抱きしめる姿にクランフェールもさすがに罰が悪くなった。しばらく二人の間に沈黙が降りたが、ぽつりと小さな声でフィーリアは内なる思いを吐露した。
「ごめんなさい。けど、あの子を見ているとどうしても他人事とは思えなくて。昔の自分を見ているような気持ちになるの。もう二度とあの子に居場所を失う気持ちをさせたくないのよ」
 クランフェールにはそう呟く彼女が泣いているように見えた。
 エルフたちが過去にどのような思いをしてこの城に辿り着いたのかは知らないが、それでもそれはフィーリアの過去であってオルカの未来が同じ道であるとは限らない。
「お前とあの子は違う。あの子の道を決めるのはお前じゃない。それに、俺はあんたが望むなら……」
 クランフェールがその次の言葉を発する前に、二人に灯りが当てられ鋭い声が響いた。
「おい、そこの二人!」
 灯りの先を見つめるとそこにはアルフレートが立っていた。なんてタイミングだ、とクランフェールは内心で舌打ちをした。いや、実際に舌打ちをしていたせいでアルフレートに睨まれた。
「ふん、なんだ馬鹿とエルフか。おい女こんなところで何を油を売っている。お前は御子のそばにいるのが仕事だろうが。そこの馬鹿もとっとと持ち場に戻れ!見回りはどうした!」
 これで話は終わり、というようにフィーリアに肩を叩かれるが、クランフェールはまだ納得はしていなかった。エルフがどれだけ智に長けた生き物であっても、先程の彼女の発言は間違っている。
 自分の進むべき道が正しいものだと背中を押してもらいたかったのだが、逆に蟠りの残る結果となってしまっていた。
「えぇ今そうしようと思っていたところよ。じゃあね、クラン。あんまり無理しないでよね。痛い目を見ても知らないわよ」
 俺の勝手だ。と呟くクランフェールの声は自分にしか聞こえないくらい小さいものとなった。
 その後、おやすみなさい、と二人に告げて、夜に消えていく彼女の寂しそうな背中をクランフェールは見つめ続けた。
 お互いに頭を冷静にしてから、もう一度話し合わなければと拳を握る。時間はどれくらい残されているのだろうか、と一抹の不安を覚えながらふと空に浮かぶ月を見上げた。
 まるでそこには今の自分たちを嘲笑うような三日月がいた。


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