前頁 / 目次 / 次頁

三  牢屋の女


 エルテノーデンが所有する〈雨〉を捕えよ。
 王にそう命を受けた時、テオバルトは果たしてそれは一体何だと思った。彼が語るには、どうにも〈雨〉の運行がおかしい、そしてそれがエルテノーデンに擁護されている〈雨の御子〉が由来だというのだ。
 うそぶく王に内心激しい訝りは覚えないではなかった。大臣たちは〈雨〉を掌中におさめることを夢見る節があったが、宣下するキファーフに熱はなく飄然としていた。常のキファーフを鑑みても、〈雨〉と御子が関連するという証拠が薄いこの時点で動くのは甚だ奇異であった。
 王は内心の退屈をはらしたいだけではないのか、とテオバルトは思った。先祖から続いた戦に明け暮れ、ひと時も留まることなく砂漠を駆け抜けた男にとって、ただ王座を温め続ける日々はそれこそ苦痛なはずだ。無論、真実〈雨〉が降れば幸いだと思ってはいるだろう。だがそれ以上に、幾度か刃を交え、いささか遺恨のあるエルテノーデンの掌中の珠をかすめ取って退屈しのぎをしたい。あわよくば波風おさまらぬ国内の統一に一役をかわせよう。そんな魂胆が目に見えるようだった。
 であれば、テオバルトたち王の私兵であるラカンヌが選ばれたのにも納得がいく。秘密裏のため武に長けた者を、と大臣たちは口を揃えたが、端々の平定に駆り出されたラカンヌほどではないにしろ、正規軍も実戦経験はある。きっと高官の子弟が士官を務める正規軍より、王の一存で動けるラカンヌほうが彼らには都合がよかったのだろう。
 貧乏くじを引かされたという自覚はあった。だが逆らえるはずもない。王の意のままにテオバルトは選出した人員をエルテノーデンへと送り出した。
 シハーブを作戦の長としたのは、性格は軽いが、誰より目端が利くからだ。敵地であっても的確に状況判断をしようと信を押し、また本人にも念を押し、麾下の四人を彼に預けたのだった。
 果たして、シハーブはたしかに王命を達した。―――予想外のおまけも担いで。
 はじめはどうするべきか悩んだものの、この女が〈雨の御子〉といたく懇意にしていたと知れると、すぐさま王は彼女を後宮に召し抱えると決めた。心情はさておき、ひとまず肩の荷がおろせるとほっとしたものだった。
 エルフの処遇が一変したのは、〈雨の御子〉が本当に〈雨〉をもたらしてからだった。
 〈雨の御子〉は本物か。
 王たちの胸に疑問が芽生えた。エルテノーデンに雨が途絶えてからというもの、〈雨〉の運行は乱れに乱れている。たまさかということもあろう。だが事実、彼女が〈雨〉をもたらしたのだとしたら、それは〈雪〉を駆逐する手段になるのではないか。そうして、もし制御することができれば三国の中でひとつ頭を抜けられるのではないか。
 ことによれば、角神の地ジノブットと称されることも不可能ではない。それこそ〈角の地〉と組めば。〈雨〉の運行が乱れて以来、軽んじられる〈角の地〉にとっても悪い話ではなかろう、と特に大臣たちは考えた。
 そのために知るべきは、『〈雨の御子〉とは一体何か』。〈雨〉を降らせられる理由があるのか、否か。ないなら他に〈雨〉が降る要因があるのか否か、〈雨〉が降る条件は何か。
 この点、ジノブットは資料に乏しかった。荒れた時代が続くなかで、〈雨〉を読むはずの観測師さえその知識を散逸させていた。
 しかしエルテノーデンは違う。長く生きるエルフの天測師とあっては、その知識の差も雲泥であろう。まして彼女は〈雨の御子〉付きに選ばれるほどだ。
 エルテノーデンの王がなぜ、オルカを〈雨の御子〉と認識したのか。
 その疑問を解消するべく、かくして後宮入りは棚上げされ、尋問が行われることとなった。
 エルテノーデン時の様子を知っているという背景もあり、役目を任じられたのがテオバルトたちだった。
「〈雨の御子〉はどこから来た」
 テオバルトの問いに女はわずかにも動かなかった。なぜ彼女のいるところに〈雨〉は降る、と声を重ねるも答えはない。
 もはや出しつくした問いだった。答えが今更あるとは思っていないが、嘆息が唇の裏でわだかまる。この任を受け半月が過ぎようとしているが、状況は膠着していた。
「このまま黙っているつもりか。こちらが手を出さないとでも思っているか」
「思っているわ」
 そのとき、初めて女が声を発した。丸二日ぶりに聞く女の声は、ひどく落ち着いていた。
「これまでだって時間はあった。なのに今更そんなことを言うのね。できもしないって私にもわかるわ」
「事情が変わればする用意もある」
「どうやって? 今まで手をあげなかったのはそれ相応の理由があってでしょう? わたしはオルカの人質。死なせるわけにはいかない。手すらあげないのは、万が一オルカの目にでも触れたら困るから。オルカは大切な〈雨の御子〉だから、彼女を意に添わせられないのは困る」
「……身体に傷をつけない拷問がいいか」
「だから、できるの? できないから、しないのでしょう」
 淡く微笑む女は、暗がりでも薄い膜を張ったようにどこか超然として見える。長寿ゆえの達観だろうか。それともただの見せかけか。
 まったく貧乏くじを引かされたものだ。短気な王のこと、そろそろそれなりの成果を出さねば一体どのような罰を受けるのか計り知れない。気まぐれで傲慢な主の気性を、どのラカンヌも恐れいていた。
 ラカンヌは、すべて元は奴隷である。王が買い上げ、食を、衣服を、技術を与えた。戦に出る頃合いになると身分は解放され、ラカンヌとして王の下で剣をとるのだ。
 留まるのは忠誠心もあるが、それ以上に王の庇護下にあってこそ保証されるものが多いからだった。父祖の代から続く兵士を厭い、王は己の手足となる一団を欲してラカンヌを作り上げた。奴隷のときであってさえ、他の者たちより厚遇されていたのは間違いない。
 ――それゆえに、王の理不尽も何より被るのだが。
 いくつか同じように女に質疑を行うも、状況は何も変わらなかった。シハーブに見張りを引き継ぎ、戻ろうとすると、ちょい待ち、とシハーブが声をあげた。
「なんだ」
「お前、今日時間ある? あとでちょいと話があるんだが」
「今言えない事か」
「言っても良いけどー。恥ずかしいっていうかー」
 おれって繊細だからーとしなを作る男を、テオバルトはうんざりと眺めるも、仕方なく了承した。


前頁 / 目次 / 次頁


Copyright © 2013 All rights reserved.
inserted by FC2 system