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七  夜襲


 夜を裂いて駆けつけると、見慣れた男が立っていた。
「バッカール」
 呼びかけると、松明を揺らめかし巨漢が振り返る。苦笑をひらめかせ、こめかみを掻く。
「どうも夜分お疲れさんです。……ん?」
 バッカールは松明をテオバルトの顔に寄せた。夜気に冷えた頬にぬらりと熱が這ってくる。どうしたのだと眉をひそめかけたテオバルトに、彼はにやっと笑った。
「こりゃまた男前をあげたことで」
 咄嗟に口元を隠しかけたが、意味のないことだった。
「どうしたんですか?」
「いや……それより、なにがあった」
 バッカールは苦笑を目にくゆらすだけで追求せず、すぐさまその求めに応じた。
 侵入者が見つかったのだとバッカールは言った。城は広い。見知らぬ顔が夜陰にまぎれて現れるのは日常茶飯事だから、常ならばそうそう重大にはならない。だが、それが〈雨の御子〉の逗留する一角を荒らしていたとなれば話は別だ。
 その侵入者は、まだ捕まっていないとのことだった。
「誰かはまだわかりませんが、一般市民が肝試しをするにゃちょっと大掛かりですな」
「逃げた方向は」
 あちらの、とバッカールが松明を捧げた。炎がゆらりと暗闇を押しのける。と、その薄くなった夜から人影が抜け出してきた。ふたりに気づき、ありゃ、と声をあげて手を振るのはシハーブだった。
「テオじゃないの。どったの」
「状況確認だ」
「そらまた熱心なことで……ぶっ」
 シハーブは盛大に吹き出した。テオバルトの腫れた頬を指さし大爆笑する。
「ひっさしぶりに見た! え、誰? 誰にやられたわけ? アギフ千騎長? まさか陛下とか。つか何やらかしたんだよ。こんなになるのさすがに最近なかっただろ。え、またなんか逆らったわけ?」
「うるさい」
 ぴしりとはね除けたが、シハーブの笑いはおさまらず、一層腹を抱えて笑う。苦みばしった顔でテオバルトは頬を擦った。余計腹立たしいことにやはり鈍く痛い。
 バッカールがふたりを見やって笑った。
「シハーブ、あんま突っこんでやるなよ。ほれほれ、で何があった? 何かあったから戻ってきたんだろ」
 テオバルトがバッカールを横目で見れば、彼は道化師のようおどけてみせた。テオバルトは細く唇から息を逃した。数ある付き合いのうちでも、シハーブやバッカールとは長いものだ。テオバルトより年長者な分見透かされている部分も多く、適わないことはままあった。
 ようやくのことで笑いをおさめたシハーブが、滲んだ涙を拭ってふたりに向き直る。
「あーなんだっけ。そうだそうだ、侵入者だけどどうも東門に向かってるっぽい。西南の通用口は兵士がたまってたから避けたっぽくて」
「なら今近くを移動しているのか」
「たぶんねえ」
 応えたシハーブが、ふと耳を軽く動かす。ちらりとテオバルトたちの背後に目を走らせると、揶揄を瞳にくゆらせた。いくつもの足音が急に乱れた。ざわめきがにわかに大きくなるのに、テオバルトとバッカールも返り見る。松明を掲げる兵士たちが、いたぞ、と口々に伝えて奥へ向かっていた。
「噂をすれば影ってやつかねえ」
 そう言って、バッカールが首をひねって骨を鳴らす。テオバルトはそちらへ足を出した。シハーブが呆れ調子で声をかける。
「おいおい行くのかよ」
「近いからな」
 部下ふたりは顔を見合わせて苦笑した。
「我らが隊長は真面目だな、まったく」


 付近の指揮をとる長に話をつけ、追いこみの一角をまかされたテオバルトたちは、バッカールの松明を頼りにあたりを見回した。暗がりのなかで、同僚の松明が星のように燃えるのを遠目に見やる。
 東門の付近は下仕へのものたちが住まう地区だ。建物が多く、入り組んだ造りになっている。おかげで影も死角も多かった。
 バッカールから松明を受け取ったシハーブが、探るよう腕を動かす。風に煽られ、ごうと炎が唸った。まるで暗闇はおびえたように伸び縮みして、その裾を引いていく。
 ひどく静かだった。聞こえるのは風と炎が木を食むちりちりという音ばかり。遠くうごめく兵士たちの靴音も、シハーブの軽口さえもなりをひそめていた。
 テオバルトの目の端で影が揺らめいた。角から瞬く間に横切っていったのは鼠だった。柄にかけた手をゆるゆると戻す。
 こちらではないのかもしれない、とテオバルトは思った。東門を抜けようと思うならば、こちらでは遠回りだ。
 くせ者は何をしに侵入したのだろう。シハーブがエルテノーデンでしたように〈雨の御子〉の強奪か。それならば手の者はエルテノーデンだろうか。
 十字路にぶつかり、テオバルトはシハーブを振り返った。右に手を振ると、シハーブは肩をすくめてそちらに光を払った。引いていく影が一角だけ崩れずに残った。また鼠か。思ってすぐに打ち消した。それより随分と大きい。
 影が身じろぎをする。と、跳ねるように逃げ出した。テオバルトは駆け出しざま素早く後ろに声を張った。
「バッカール、人を呼べ! シハーブ、」
「わかってる!」
 先行していたテオバルトを追い越し、シハーブが駆けていく。テオバルトは足に力を入れた。
 人影は身軽だった。右に左にへと角を曲がって撒こうとするその足は、驚くほどに速い。角を抜けるたびに見失いかけ、テオバルトは内心舌打ちする。想像以上に小柄だ。
 また角を曲がると、すでに侵入者は次の角へと身を隠している。埒が明かない。シハーブ、と呼びかけると、その手から松明をもぎ取った。
「上から回りこめ!」
「ったく人使いの荒い隊長どのだ!」
 猫はにやっと笑って、その場から飛び上がった。建物の窓を掴み、背をたわめると一気に屋根へと躍り上がる。テオバルトは足を止めないまま目端でそれを見届け、侵入者の痕跡を追って角を曲がった。
 右、右、左、右、左、左――選ぶ道で悟る。少なくとも内部犯ではない。いくつもの通りへ出る道を見逃している。ならば策はある。ぐんと一層速さをあげて迫った。この先にはふたつ曲がり角があった。奥の角の先は通りへ繋がる、また曲がりくねる道。もうひとつは壁際に近づくまっすぐとした道だ。
 果たして、焦った侵入者は思惑通りにテオバルトを撒くため手前の角を曲がる。テオバルトがそれを追うと、その背が隠れるものなくまっすぐ捉えることが出来た。距離はまだ埋まらない。だが。
 距離をつけようとする侵入者の前に、そのとき影が降ってきた。シハーブだ。猫のしなやかさで彼は素早く身を起こして手を伸ばした。それを避けた侵入者がたたらを踏んで振り返るところに、テオバルトが立ちふさがった。
 荒い息づかいが暗がりに響く。自分の物だけでなく、侵入者も息を荒げている。ぐいと顎を拭う仕草が見えた。テオバルトは松明を高くかざした。
 浅黒い肌だった。黒髪に青い目をしている。よく見れば体の肉はしっかりとして線の細さはない。小柄に思えたのは、おそらく彼が少年だったからだ。
「何の目的で侵入した」
 ごう、と松明が燃え盛る。眩しそうに目を覆った少年は、答えずまわりに視線を投げかける。
「すぐ応援がくる。逃げ場はない」
「テオ、聞いても無駄」
「わかってる。だが、投降の意志があるなら」
「じゃなくって。おれ、こいつ知ってるわ」
 シハーブの揶揄めいた声に、テオバルトは眉を寄せた。ぴくりと少年が身じろぎをして、後ろに目を走らせる。
「この場合、お久しぶりって言って良いのかね。エルテノーデンでお姫様お連れしたときにいた奴だわ」
「エルテノーデンか」
「知らねえよ。ま、エルテノーデンの兵士とは一緒にいたのは確か。でも見た感じはエルテノーデンっぽくはないねえ。どっちかっていうと――パラファトイ?」
 少年は黙りこんだままだ。
「あたりかねえ。どう思う?」
「ひとまず答えあわせは後だな」
「あらら。面白くないの。――だけど、目的は決まっている。〈雨の御子〉の奪取だな」
 パラファトイも、〈雨の御子〉を狙っているのか。いや、決まったわけではない、と己を戒める。だがにわかにオルカの力への信憑性は高まった。三国共々奪い合うには、必ず何かしらの根拠があるはずだ。
 根拠。おそらくあのエルフは、それを隠している。
「あなたたちは何もわかっていない」
 その時少年が突然そう吐き捨てた。シハーブがにやにやと笑った。
「へえー。お前は何か知ってるって言うわけ?」
「少なくともあなたよりは」
「おもしれえ。ご高説賜ろうじゃないの。何を知っている? 人生の楽しみ方を語るには随分早く見えるけどなあ、坊主」
 眉をひそめる少年に図らずも内心同調してしまったテオバルトだったが、割って入るのも億劫だった。黙って援軍を待つことに決める。
「ほれ、言ってみろよ。それとも怖くなったか」
「……あなたはオルカが何を連れてくるか、知ってるんですか」
 〈雨〉だろ、と適当な口ぶりで答えるシハーブに少年は強く首を振る。確信に満ちた仕草だった。
「違う。そうじゃないんです。だから、このままにしておくとここも危ういんだ」
「危ういものを連れてくるねえ。〈角の主〉でもきちゃうわけ? そら大変だな。うちの『主』と支配権巡って大もめだ」
「ふざけているわけじゃない!」
「んじゃ、何がくるのかね。そんな大仰な危ういものっつったら、あれでも来るのかよ」
 おどけるようシハーブは手を広げた。
 あれとは〈雪〉のことだ。三国の人々はその言葉を出すことすら忌んで発さない。だからテオバルトは少年が答えずに、一瞬ひるんだように見えたのは〈雪〉がもたらす生理的嫌悪からだと思った。けれど少年が少しのためらいを挟み、だとしたら、と掠れた声で問うたことで違うと知った。
「だとしたら、どうしますか」
 シハーブはすぐさま失笑した。ありえない、と言い放つ。
 だがテオバルトの脳裏を過ったのは、先日の見知らぬ男の「雪が来る」という言葉。ばかなと思った。くだらない虚言をどうして真に受けようとしているのか。
「そう思うだろ、テオ」
 シハーブの苦笑帯びた声に、テオバルトは咄嗟に答えられない。ぎこちなく、喉に絡んだ言葉をようよう吐き出す。
「そうだな、そんなことはあり得ない」
 身体が思わず強ばった自分に、テオバルトは眉を顰めた。くだらない、と意識的に呟く。
 だがもし――そのようなことがあったとしたら。テオバルトは思わず考えた。
 おそらく〈雨の御子〉ではなくなった少女は王に殺される。利用価値のなくなった道具として。いや、それ以上にひどい扱いを受ける。〈雨〉を呼ばないだけならともかく、〈雪〉を呼ぶとなれば誰もが石を持って彼女を追うだろう。〈雨の御子〉として大々的に披露した王は、その事実を恥辱と見る。政治情勢からしても、王の性格からしても。
 にわかに喉が乾いたように思えた。
「……くだらない話はすんだか。もうそろそろバッカールが戻る。捕まえるぞ」
「へいへい。隊長殿」
 ぎっとテオバルトを睨みつけた少年に、テオバルトはぐっと距離を縮めようとした。
 だが、そのとき突然、少年の足下で光が弾けた。眩い光に顔を手で覆ったとき、背後から迫る気配がした。間一髪で身をひねって避ける。風切り音が耳際で唸る。振り向き様に、足を払ったがかわされた。
 男だ。体格がいい。赤髪をしているのがわかったが、くらんだ目ではそれが限界だった。咄嗟に松明を振りかぶる。と、勢いよくそれが薙ぎ払われ、手のうちから松明がこぼれた。瞬く間にあたりは暗転した。
「フージャ! 逃げるぞ!」
「クランさん……っ」
 少年と男がその場から遠ざかっていく足音が聞こえる。くそ、と毒づき、シハーブはどうしたのかと、今度は暗闇になれない目をあたりに向ける。シハーブはまだ光の余韻でまともに見えないようだ。舌打ちをする。
 背後から幾多もの足音が入り乱れるのが聞こえ、テオバルトははっとして振り返る。
「逃げた! まだ近くにいる。怪しい目くらましを使うから気をつけろ――!」


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