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十一  扉を開けて


 風が通りにかぶさる砂を巻きあげながら、都外れに吹いていく。
 木と布の粗末な家屋が、今にも壊れそうな軋みをあげて揺れた。乾く故郷を捨てて、都に流れついた人々が数多く居着く界隈だった。
 その西の一画に男がふたり、宿の入り口に立った。日が落ち、くゆる寒さに外套を着こんでいる。背の高い男がなれた様子で、もう一人を連れ立ち入っていく。扉の開閉音に気づいた店主が奥から顔をのぞかせたが、ふたりの姿を認めると、片眉を跳ね上げて鼻を鳴らした。ひらひらと手が振られるのも見もせず、思わしげに首を振ってそのまま体を引っこめた。
 男は声をたてずに笑う。その背を、無表情にもう一人が押しやると、肩をすくめて宿の奥へと歩み進めた。
 最も奥まった一室の前で、背の高い男は確認するように振り返った。連れが小さく頷くのを見届け、扉に向きなおる。膝を、からだに引きつける。
 そうして勢いよく扉を蹴りつけた。
 鍵など上等なものはない扉は、破片を撒きながら内へと開いた。男が悠然と一歩踏み出すと、影から剣が光を走るようにひらめいた。あぶね、と仰け反る男の前髪がいくつか切れて宙を舞ったのを追いかけるよう、再び剣筋が走る。
 しかしその太刀を、後ろに控えていた男の湾刀が受け止めた。
 狭い廊下のうちでつばぜり合いをする男たちは、しばしにらみ合った。
「血の気が多くてやだねえ」
 扉を蹴り開けた男は廊下をするりと抜け、部屋のうちで苦笑する。彼はふと部屋にいた少年に、知ってたか、と問いかけた。
「うちのモットーは先手必勝でね」
 少年はいつでも飛びかかれるよう身構えていた。その姿はまだ伸びきらない背丈ながらに、俊敏さを伺わせている。男は首を傾げて、フージャつったっけ、と気軽な調子で問いかけた。
 少年は警戒したようにわずかに体を強ばらせた。
「――捕獲にきたわけではない」
 いまだつばぜり合いをする闖入者――テオバルトが静かに言うと、向かいあった男は不可解そうに眉を寄せた。不信感を拭えぬ様子の男はしばし真意を探るよう、テオバルトの顔を見返した。そして背後に視線を走らせると、わずかな逡巡ののち舌打ちをして剣を引いた。
「くそっ……だったら何の用だよ」
「何の用だと思う?」
 揶揄めいたシハーブの物言いに男が眉を跳ね上げた。テオバルトは嘆息をし、お前は黙っていろ、と低く釘を刺す。シハーブは愉快そうに笑って、へいへいとばかりに肩をすくめた。
「〈雨の御子〉の件だ」
「ああ?」
「城で言っていただろう。その話をしにきた」
「なんだよ突然。関係ねえって面してただろうが、お前ら」
「事情が変わった。聞く気はあるか」
「は? どういう――」
「待ってください」
 顔を顰めて詰め寄ろうとした男を不意に少年が止めた。不機嫌そうに振り返った男に、一度きいてみましょう、と彼は続けた。
「本気か」
「……どうせもう居場所はばれてるんですから。それに、外でこの話をされるよりましです」
 男はテオバルトとシハーブを睨みつけたが、ったく、とぼやいて髪を掻いた。扉の前から退いてテオバルトに道を譲る。入れよ、とぶっきらぼうな言葉に、テオバルトは湾刀を帯に戻してから室内に足を踏み入れた。
「それで」
 テオバルトが部屋に目を走らせる暇もなく、少年は口火を切った。ぎいと扉が軋みをあげて閉められると、男がその扉に背を預ける。部屋のうちは蝋燭が一本頼りなげに揺らめくだけで、黒々とした闇が端々に巣食っていた。
「オルカの話とは何ですか」
「先に聞くことがある」
 少年は戸惑ったように目を瞬かせた。テオバルトは気にせず、お前たちの目的はオルカをジノブットから連れて行くことか、と問うた。
「答える必要がありますか」
「ある。ジノブットから連れてどこへ行く。パラファトイか」
 淡々とした問いかけに少年はわずかに眉を寄せたまま黙りこんだ。答えるべきか考えあぐねているようだった。テオバルトの動かない表情に目を向け、小さく首を振った。
「答えられない。聞く気はあるかと来たのはあなただ。あなたが話すのが筋じゃないですか」
 今度はテオバルトが口をつぐんだ。彼は彫像のように身じろぎもせず少年を見つめた。少年はひるんだ様子をちらりとも見せず、ぐっと顎を引いてそれを見返した。
 蝋燭の炎が空中の埃を食んで、じり、と喉をならす。
 あまりにも長い沈黙に水をさしたのは、細いため息だった。テオ、と呼びかけるシハーブが、今更迷うな、と書いた呆れ顔をしているのを見て取り、テオバルトは小さく息を逃がした。
 少年に向き直れば、彼は先のままテオバルトを見返してきた。
「〈雨の御子〉を逃亡させる」
 ぴくりと少年の眉が動いた。扉に背を預けた男が微かに身じろぎをしたのが、鞘と扉がこすれる音でわかる。
「エルフの女も同様だ。ジノブットから出す。その後の算段は決めていない。もし当てがあるなら聞きたい」
 ふたりからの初めての返答は、男の短い嗤笑だった。ふざけんな、と怒りすら感じられる声で吐き捨てる。
「そんな言葉を信じるとでも思ってんのか」
「だろうな。だからエルフに一筆書かせた。お前がクランフェールだろう」
 その言葉に男は動揺を露にした。テオバルトが懐からぼろ布を渡すと、その目に逡巡を過らせたが、差し出された布の魅力に抗えなかったよう恐る恐る手を伸ばした。
 忙しなく動く男の目は、末尾まで辿り着いても粗を探すよう文字の上を這い回った。幾度も行き過ぎたあと、ゆるゆると顔をあげて顔を顰める。クランさん、と不安そうに呼ぶフージャに緩く首を振って見せた彼は呻くように認めた。リアの字だと。
「なんて書かれてたんですか」
「……こいつらが王の子飼の私兵だということ、事実を知ってオルカを逃がす算段を立ててる、だから手伝って欲しい……くそ、嘘だろ」
 男は乱暴に頭をかきむしった。少年がテオバルトに顔を向けると、テオバルトは小さく頷いた。少年は怪訝そうに、どうしてですか、と尋ねた。
「お前らが言ったのだろう。〈雪〉と関連していると」
「それを信じてくれたんですか」
 テオバルトが答えを返すよりも早く、信じられねえ、と男が声をあげた。
「あのときお前らはそんな様子微塵も見せなかっただろうが。もしそんな大仰にあれとの関連が発覚したなら、こんな悠長に話をしている暇はねえはずだろ。何が目的だ。オルカとリアを逃がしてお前らに何の利があるって言うんだ」
「私情だ。話す義務はない」
 冷たく応えたテオバルトに、不信感を募らせた様子の男が俄に詰め寄りかけた。それを止めたのは、部屋の隅で言われたままに沈黙を守っていたシハーブだった。
 軽く手を叩き衆目を集めた彼はご満悦な様子で、こいつはさ、と言った。
「たんに、お姫様にめろめろなだけだから。それで十分だろ」
 おれは幼女趣味ないけどー、と続けたシハーブは、軽く首を傾げてみせる。
「昔っから甘い奴でね。同情屋が過ぎて、こういう結論に至ったわけ」
 舞台役者のごとく大仰に肩をすくめて嘆いてみせる猫の獣人に、違う不安感を誘われた様子で男はシハーブの全身をねめつける。
「オルカへの好意だと? だったらお前は何なんだよ」
「おれ? おれも半分はお姫様への好意と、あと半分はそうさな。楽しみ?」
「そんなことで、ですか……?」
 男同様に怪訝な色を隠しもしない少年に、シハーブは満開の笑みをひらめかせた。
『あんな殺し文句を言われちゃな、落ちないわけにゃいかねえだろ』
 苦笑を口の端に滲ませながらシハーブが言ったのは、徴募の集会から三日と経たない日だった。備品の整備をするテオバルトを横目に、彼は日差しを浴びて窓に腰をかけていた。テオバルトが目だけあげると、行くんだろ、と聞いてくる。応えのないままに、だったらおれも参加ね、とうそぶいて目を閉じた。
 しばらく物を移動させる音だけ響く沈黙を越えて、関係ないだろう、とテオバルトが告げれば猫は微かに耳を動かした。
『否定はしないわけ』
『そうだな』
『あっそ』
『悪いか』
『いんや、思ってたより愉快でけっこう』
 テオバルトは眉を寄せて、止めたんじゃなかったか、と言った。
『だから言っただろ、殺し文句があったからしょうがない』
 飄々としたシハーブにテオバルトは苦言を呈しようとし、だが止めた。
 一人じゃ無理だろ、と続いたシハーブの言葉はもっともだった。〈雨の御子〉には大勢の監視がいるし、こちらが逃がそうとしているのは二人だ。手に余るのは見えている。
『生きる算段を取るのがジノブットじゃなかったか』
『まあね、でも楽しいのを追うのもジノブット気質だ』
 悪趣味なほど愉快さにこだわる。それは彼らの抗いがたく、また度し難い性向だと、〈冬の地〉に来て以来テオバルトは幾度も感じていた。
 阿呆だな。そらお互い様。違いない。認めたな。仕方ない。ジノブットの飯を食べたしねえ。そうだな。
 理解をされる必要はない。己がそうと悟っていれば、形ある動機などかまわない。
「真実、お前たちの話を信じたわけではない。……だが、事実なら仲間に被害が出る。怪しげなものは身のうちに飼えない。早く追い出したい。――それ以外に何か理由が必要か」
 シハーブがわずかに苦笑した。
 少年は表情を変えないまま立ちつくすテオバルトを強い目で見つめた。そうして軽く息を吸うと、わかりました、と告げた。
「確かにそれは俺たちに加担する理由になる」
「だが、味方と信じるに足る理由にはならない」
 男の冷厳な声に、少年は慎重に頷いた。ですが、と続ける少年の声に迷いはなかった。堂々とした立ち振る舞いに、テオバルトは彼の先行きを見る思いだった。
「ですが、俺たちも手詰まりなのは事実です。多少の賭けは覚悟していかなくてはいけない」
 男は少しの沈黙のあと、そうだな、と諦めのようため息まじりに呟いた。
 彼らはテオバルトたちに、これまでのことを語った。オルカとの出会いから〈雪〉がついた日のこと、そうして〈雨〉の到来により情勢が一気に加速したこと。それからはテオバルトたちも噂でかいつまむ情報と相違なかった。だが、さすがにオルカが〈角の地〉と関わりがあることは驚きであった。
「なぜ〈角の地〉は動かない?」
「いえ、動いてはいます。オルカのことについて話してくださった方はいましたから。今回ジノブットに来てからも、その方がオルカの居所を教えて下さって……」
「わかっているのに自分でしないのか? どうしてだ」
「……わかりません。ですが、〈角の地〉は角様の意志で動いている。何かこちらには理解し得ないことがあるのかも」
 眉を寄せて呟く少年の敬虔な物言いに、テオバルトは緩く首を振った。それを探ろうとする人々の意図こそが、テオバルトには理解しがたかった。
 語り部は、緑の国からの使者が訪れたことを境に、少年から男へと引き継がれた。その語りは軍事に関わるせいか、所々テオバルトたちを警戒するよう口を濁すことがままあった。最たるは新技術の魔法についてだ。魔石を男が懐から出されたとき、脳裏にまざまざと夜警で迸った閃光が思い出された。
「簡単に言えば、これを用いてオルカの〈冬〉を消す」
「そんなことが出来るのか? どういった原理で」
「それは言えねえ。国家機密だ」
 軽く口笛を吹くシハーブに、男が剣呑な目を向ける。シハーブが諸手をあげれば、深いため息のあとにテオバルトに向き直り、現象は確認されている、と続けた。
「だが実際は、効果があるかは実証されたわけじゃねえ。だから、これから確認していく」
「これから、か」
 男は重く頷いた。機を見計らったように、少年が一歩前で踏み出した。
「それで、お二人はこれからどうしようと考えられていますか」
 オルカたちを、どのように連れ出されるつもりですか――。
 少年の問いに、テオバルトはわずかな間をあけて口を開いた。


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